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常に最適でなくとも
結局だいじょうぶ。
よくある「やりたいことが見つからない」という悩みは、「人生というのはツライし短いので、やりたいことをやらなければならぬ(やりたくないことをやると死ぬ)」みたいな恐怖に基づいています。
この恐怖は近年、増大傾向にあります。様々な場面で『最適な解』を見つけるのが容易になったから。その深刻さと滑稽さを、コメディアンのアジズ・アンサリが笑い飛ばしてました。
「僕は歯ブラシを買うにも、ネットで口コミを探さないと不安になってしまったんだ。『歯ブラシ 最高の』ってね!ただの歯ブラシだよ?どれも似たようなもんだろってのに…!」
でも、『最適な解』を探すあまり、なにも踏み出せない…というのはもっと最悪です。ツラすぎる。「やりたいことをしなくては」という圧力が常にかかるのに「なにもできていない」という無力感が増幅する。板挟みです。
そういう時は、一度は「最適でないかもしれない」ものをとりあえず選んでみて、ひとまず全力でやってみる…というのがその時点での『最適な解』だったりすることが多い気がします。なんだか逆説的ですね。
なんでかというと、『最適な解』が分からなくて迷ってる時に必要なのはだいたい情報なんですよね。情報が圧倒的に不足している。そして「最適でないかもしれない」何かをやってみると、良質な情報を莫大に得られることが多い。だから「最適でないかもしれない」何かを全力でやってみるのが良いワケです。
軽い情報が手元で即時に揃う世界なので「何かをやってみることで情報を得る」という選択肢は「最適でないかもしれない」どころか、非効率として切捨てられがちです。だいたい間違いです。やらずに得られる情報の量と質はやってみて得られる情報のそれとは比べ物になりません。
何かを「やってみる」ことで得られる情報の莫大さたるや。
んで「最適でもないかもしれない」ものを選ぶ恐怖に打ち勝つ方法なんですが、割とひとそれぞれですよね。概ね必要なのは「何があっても大丈夫だ」という信頼できる芯のようです。
信頼の対象はひとそれぞれです。自分や仲間、家族や社会、世界や運命、何らかのデータと理論。その「何があっても大丈夫だ」を何が打ち立てるのかは分かりませんが、その芯さえあれば、「最適でないかもしれない」選択肢を選ぶことへのワダカマリがほぐれることが多いと思います。
まあ、なんとかなります。
(新しいバージョンのライオンキング初めて観た…)
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