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命がけで生きていく

それさえできれば後悔は無い気がする。

死ぬ直前の一秒も、いま目の前を過ぎていく一秒も、同じ時間だと考えるとなかなか怖くありませんか。同じ人生の一部なのに、果たして同じ密度で過ごすことができているでしょうか。

今までを振り返ると、人生の一部だと誇りに思える時間とそれ以外を分けているのは、その一瞬一瞬をしっかりと自ら意識できているかどうかがほとんどです。その行動の結果はともあれ。

例えば高校や大学なんかで、サボるぞ!と気合いれてサボったときは後からでも気持ちが良いけれど、気づいたらサボってたなんて時は、後からその時間に結構もやもやが残ってみたり。

一瞬一瞬を意識して、やるぞ!と人生を乗せる覚悟するためには、各個人によって色々と条件があると思います。メジャーなもので言えば、それが自分の選択したことなのかどうか、とか。

ただ、その自分が選択したかどうかという点に拘泥して、自分が選んだものではないから覚悟ができない!人生を乗せられない!とかになってしまうと逆に人生から自由度が失われますね。

いや、他に何か選びたいものがあれば良いんですけど。でも特にコダワリもないのに「自分が選択してないから」という理由だけで「これには自分の命をかけられない!」とするのは狭量です。

なんせ、そもそも「生まれてくる」ことを選択する人はいないわけで。自分で選んでなくても、覚悟を乗せてみるのはアリじゃないですか?どうせどの一瞬切り取っても、自分の人生になってしまうんです。

風みたいに軽やかに、でも命がけで生きられると良いなと思ってます。

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