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連載小説 【 THE・新聞配達員 】 その53


53.   カナダからの手紙



私は昨年のことを忘れてはいなかった。


すっかり秋めいた東京の下町。
秋には秋のビールが確かにある。
そんな9月も下旬。
もう東京に来て半年が経った。


昨年飲んでいたビールの味は今でも忘れられない。
あんなビールに出会うなんて奇跡だった。


あれは確か近所では無い少し自分の家から遠いコンビニ。
そこでたまたま珍しいビールに出くわしたのだ。
確かこの季節だった。


缶の色は緑色だった。
ハイネケンではない。


輸入物のビールは世間にはあまり人気がないようだ。
売り場には肩身の狭い思いでバドワイザーとハイネケンが居た。
その横に居た新入りの輸入物ビールの名前は「プリモ」。


味は最高に美味しくて今までの20年間の人生で一番美味かった。
日本のビールの苦さが無くて、甘くてフルーティーなフレーバーだった。
ふわっと軽く飲めて、しかも格安だった。
安いのに美味くて、しかも人気がないなんて。
まさに私にぴったりだ。


人と違うことが大好きで
人気のないモノのファンになる私の前に
突然現れたこの幻のビールのことを思い出していた。


もう一度飲みたいなぁ。


あれからどこの酒屋やスーパーやコンビニに行っても
あの「プリモ」には出会えなかった。


初恋のあの女の子には、もう二度と会えないのかもしれない。
もし、また会えたとしたら何て言おう。
それと同じ感覚だった。


確か缶に「ハワイアン・ビール」と書いてあったっけ。
ハワイか。
ハワイに行けばまた飲めるのかもしれないな。


ハワイに行くには拡張で何ポイント取れば
連れて行ってもらえるんだったっけ?
あとでお店に行った時に確認しようか。


海外か。



海外のビールの方が日本のビールよりも美味しく感じる舌を持っているのだとしたら私は日本よりも海外向けの人間なのかもしれないな。


ん?
何か大切なことを忘れているような・・・


・・・
・・・
・・・


カナダだ!
しまった!
すっかり忘れていた!


今、何月だ?!


私は急いでカレンダーを見ようとしたが、
部屋のどこにもカレンダーは貼ってはいなかった。


何て言う名前だったっけ?
・・・
・・・
・・・
ワーキングしながら・・・
ホリデーできる奴らだから・・・


「ワーキングホリデー・ビザ」だ!


やばい!先着順だったぞ!
何月から応募開始だったっけ?
その月が始まった瞬間の一日ついたちに応募しなければ
また募集が終了してビザが取れなくなってしまう。


思い出せ!
面接してくれたあの女の人との会話を。
大使館か領事館に電話した時のあの会話を。


10月だったか?11月だったか?
9月ではないだろう。


まだ間に合うはずだ。


10月だったらヤバイな。
書類を揃えたりする時間に不安を覚えた。


そうだ!カナダ大使館に電話しよう!
確か私は東京に来る時のカバンの中に
『地球の歩き方 カナダ』を入れて
「東京の歩き方も要るなぁ〜」と思っていたんだ。


江戸間4畳半の自分の部屋の
なけなしの押入れのふすまを勢いよく開けた!


カパーン!と気持ち良く、木が合わさる音がして
襖に貼ってあるポスターのジョン・レノンがナイス!と親指を立てた。


私は押入れに首を突っ込んで埃まみれになる覚悟をして
読まずに積んであるだけの本たちを漁った。


あった。
本はあったが電話は持っていない。


テレホンカードが残っていたはずだ。


あった。
私はテレホンカードを見つめながら思いついた。


「行くか。」


声に出して言っていた。
私は今、東京に居るのだ。
カナダ大使館まで直接行こうではないか。


次の日、
私は『地球の歩き方 カナダ』を持って
東京赤坂にあるカナダ大使館まで歩いた。

電車で30分も掛からなかった。
こんなに近かったのか。
普段私は何をしているんだ。


綺麗でアーティステックな建物だった。
ドキドキしたが、間に合わないかもしれないと言う不安感が私の背中を押した。


受付の人に聞いた。


「すいません。ワーキングホリデーのビザを取りたいんですけど、
どうすればいいですか?」


「はい。ワーキングホリデーですね。
ワーキングホリデービザは昨年から応募方法が新しく先着順になりまして・・・」


「はい。」


「今年の募集開始は11月ですので・・・」


「よしっ!」


「えっ?」


「あ、いや、間に合ったなと思いまして・・・」


「あっ、そうですね!11月になってすぐに提出すれば、ほぼ間違いなく取得できると思いますよ。」


太鼓判を押してくれた綺麗なお姉さん。


「ではこれが申請用紙です。後、ここに必要な条件や揃えていただく書類などが書かれていますので、よく読んでご準備ください。」


「あ、ありがとうございます。」


かなり多くの条件が書かれている。
今までなぜ読まなかったのか自分が不思議になった。

・日本の国籍を有する
・パスポートの有効期限がワーキングホリデーの滞在期間をカバーすること
・年齢が18歳以上30歳以下である 
・最低2,500カナダドル相当の資金を有している (およそ20~25万円)
・滞在する期間をカバーする医療保険に加入できる
・往復航空券を事前に購入するか、帰国の航空券を購入できる資金を持っていること

ありゃりゃ?
なんだこの資金と言うのは?
聞いてみよう。


「すいません。この20万円から25万円の資金を有すると書いてあるんですけど、資金を持っていないとビザ取れないってことですか?」


「そうですねー。銀行の『残高証明書』でOKですよ。ご自身の銀行口座に
これだけの預金がありますっていう証明さえあればOKです。でも・・・」


「でも?」


「実際は最低でも100万円くらいは持って行かないと、すぐに仕事が見つかるとも限りませんし、宿泊費や食費は必ず必要ですから、もし万が一、仕事をしなくても半年間は生活できるだけのお金を持って行ったほうがいいですね。」


ひゃ、ひゃく万円だと!
私は出来るだけ顔の表情を変えずに
心の中で叫んだ。


20万円ですら大金で、
今どうしようか悩もうとした矢先に『最低100万円』って!


いや大丈夫だ。私たちは仕事を先に決めている。
もう採用されているのだ。
行ったらすぐに働ける仕事と住む所があるんだ。
今の新聞屋さんみたいに。
飯が無いのは辛いが、お給料のカナダドルで食べればいい。


問題は『残高証明書』だ。


壁が立ちはだかる。
こんなことだろうと思った。
でも大丈夫だ。まだギリギリ間に合うような気がする。


しかし私はお給料をもらった分きっちり使うタイプなので
現在の貯金はゼロだ。
そして今から貯めていたら間に合わない。
月に9万円のお給料があと1回しか来ない。
カップラーメン沢井の真似をしても無理だ。


借りよう。
残高を証明さえすれば、すぐ返せばいい。


親か?
いやダメだ。
言えない。
東京に行ったと思ったら次はカナダに行くだなんて
まだ言えない。


由紀ちゃん?
しーちゃん?
優子さん?
いやダメだ。
絶対に言えない。
学校は2年間あるので最低でもお店で2年間は働くことになっている。
1年間でリタイヤするだなんて絶対に言えない。
お金の話以前である。


佐久間さんの顔がちらついた。
ダメに決まっている。
たった1時間でもお金を借りようものなら
また裏佐久間氏が登場しそうな気がして身震いした。


友人・常磐木ときわぎ氏になんて言おう。


私はこの半年間、東京に来て、
学生ではあるけれども
仕事をしてお給料をもらって、
今現在貯金残高が0円。


常磐木氏も大学生だからアルバイト程度はしているにしても
お金は無いだろう。


ここは私が用意して、彼を導かなければならないのに!
なんてことだ!私が誘ったというのに!


まあ、とにかく連絡しよう。
財布に入れておいたテレホンカードを確認した。


私はボーッとした顔で綺麗なお姉さんにペコリとお礼をして
カナダ大使館を後にした。


〜つづく〜

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真田の真田による真田のための直樹。 人生を真剣に生きることが出来ない そんな真田直樹《さなだなおき》の「なにやってんねん!」な物語。

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