見出し画像

連載小説 【 THE・新聞配達員 】 その64


64.   グッバイ大野!②


バスが勢いよく目の前に止まった。


大野が先にバスに乗り込んで
小銭をポケットから出したかと思えば
精算機に入れ始めた。


そうだった。
いつも忘れてしまう。
大阪のバスは後払いだからだ。


大野は自分の分を払った後に
私の分も払ってくれた。
そしてこちらを一度も見ずに
空いている席がないか車内を睨みつけていた。


ちょうど満席だ。
立っている者はいない。
でも空いている席もない。


私たちが最初の立ったまま
つり革につかまって過ごす乗客だ。


どこに立とうか悩む。
どこでも自由に立てる。
つり革は選び放題だ。


そんなしょうもない考えが私を通過し、
大野へと伝わっていき、
私たちはさっと顔を見合わせた。
大野がデキる刑事のようにすばやく私にうなづく。


私はできるだけ若い女の子が
座っている席の横に立とうと体で
大野を誘導した。


大野はその考えには気付かずに
私の横に立ってつり革を片手で掴んだ。
もう片手はズボンのポケットだ。
つけたカッコが似合う。


一方私は子供のように両手でつり革を持ち、
窓のほうに体を向けた。
大野は私の方を向いているが、
私は窓の外を向いている。



少しでも目線を下にずらせば
座っている女の子の頭部のてっぺんを
拝める。


ずらしてみた。


うん。いい頭皮だ。
黒くてツヤツヤとした髪質だ。
つむじはどこだろう。
結った髪で隠れているのか。
肩までの長さの髪の上半分だけを後ろで結っている。
下半分はそのまま首元まで伸びている。
バスが揺れて、つり革がきしむ音がする。



下半分残した髪でうなじも耳も見えない。
セクシーな部分がひとつも見えない。
上手いことしているなぁ。
唯一ほっぺだけが見える。
白くてほんのりピンク色のなまめかしい頬だ。


全てを隠されては、
ただのほっぺたに艶かしさを見出すしかなかった。


「やっぱこの時間は混んでんなぁ。」


大野がたぶん私に言っている。
どうでも良かった。
私はうなづくふりをして、
さらにより深く女の子の頭部を見た。


うんうんと二回うなづいてみせたので、
女の子の全身を視野に入れることができた。
完全に胸元が見えない服装であることは百も承知だ。
スカートも長く足元まですっぽりと包まれている。
靴が可愛らしいスニーカーだった。


「おい。次で降りるぞ。」


まばたきをする間も無かった両目が
ほっとしているのが分かる。


新宿伊勢丹前で降りた。
背の高い建物たちが
沿道観戦している巨人のように
私たちに今にも襲いかかるように笑っている。


空が狭い。


「なあ、真田丸。あれ何て読むか知ってっか?」


大野が指差すビルにくっ付いている大きな赤い文字。
「 OIOI  」とビルに書いてあった。


ゼロイチゼロイチ?
マルイチマルイチ?
ハングル文字にも見える。キムチかな?
思い付いた!


「おーい!おーい!ですかね?」
「おまえ、おもしれーな!さすが大阪人だな。
でもあれで丸井って読むんだ。
覚えといたほうがいいぞ。バカにされっからな。」


どこの誰にバカにされたのか大野。
ここは間違えた方が面白いではないか。


「おしっ、このビルだ。入るぞ。」


肩で風を切るようにさっそうと
ビルの中に入って行く大野。
エレベーターに乗った。


「えーっと・・・8階だったな。」


どんなお店に行くつもりなのだろう。
名前はどれか聞こうとエレベーターの上の
店舗案内を見た。


おや?
6階にインド・レストラン「シャルマン」と
書いてあるではないか。


もしやこれは、
あの佐久間さんちで会った
シャルマンさんのレストランか?


場所は新宿としか聞いていない。
お店の名前と自分の名前を同じにしたとも
聞いていない。



でも堂々の「シャルマン」の看板は、
もうあの人しかいないだろう。
ちょっと確認したいな。せっかくここまで来たんだ。
私は腕を伸ばして6のボタンを押した。



「おいおい。どこ行く気だよ。8階だって。もう押してるし。」

「いや、ちょっと、このインドレストランってのが気になって。」

「カレーか?腹減ったのか?飯食ってねーのかよ。」

「いや、カレーはカレーでもインドのカレーは日本のカレーとは全く違うらしいんですよ。」

「おー。聞いたことあるぞ。カレーにコーヒーに入れるフレッシュを入れるらしいな。」



どこで聞いたんだ。それ。
チンッ!と鳴ってエレベーターの扉が開いた。


開いた瞬間、鼻に入ってきた匂い。
いや香りにしておこう。
シャルマンさんに失礼だから。


大野が周りを全く気にせずに叫んだ。
誰も乗ってなくて良かった。


「うお、くせえ!なんだこの匂い?早くドア閉めろよ!」


私は逆に開のボタンを押しながら
首から上だけエレベーターから出た。
シャルマンさんの姿を探して。


「スパイスってやつですね。香辛料の種類がハンパないらしいですよ。」

「いや、もう外人の匂いしかしねーじゃねぇか。」


大野の手が伸びてきて閉を押した。
私は開のボタンから手を離してドアの外に出てしまった。
閉まっていくドア。大野が消えていく。


半分消えたくらいでハッと匂いから覚めて
意識を取り戻した大野は急いで開のボタンを押した。
ボタンを連打する音が聞こえる。


私は大野からレストランに視線をやって、
シャルマンさんの面影をガラスの向こう側に探した。
お店の中にまで入って尋ねる勇気は無い。
エレベーターに戻った。


「なにやってんだよ!匂いが服に付いちまうじゃねえか!」

「大丈夫ですよ。服を脱いでもまだ髪の毛とか腕毛とかには残ってますから。」

「いや、いらねぇんだって。」


ドアが閉まって動き出すエレベーター。
髪の毛を手で梳いている大野。


「いやいや、どんだけインド好きなんだよ。」

「ビートルズもインドで修行してたじゃないですかー。」

「インドで瞑想とか、地獄だな。」


チンッ!
8階に着いた。


6階の匂いをエレベーターで運んだ私たちは
やっと目的のお店に着いた。


「ここだ、ここ。」


入り口でなぜか深呼吸している大野。
緊張してるのか?
ここは冗談でも言ってやろう。


「深呼吸なら6階でやったほうが・・・」

「うぇ〜っ」


本当にえずいている大野。
お店の中に入った。
おしゃれな店内。
白い壁に黒いテーブル。
カウンターの中の壁は一面鏡張りだ。


白いシャツに黒のベストを着た店員さんが
私たちをカウンターの席に案内してくれた。


場違いもいいところだ。
新聞配達をしている学生はおろか、
普通のサラリーマンでもここには来ないだろう。
お金持ちで高級な車に乗っているルックスのビューティフルな男が
女性とのデートで使うお店だ。


そんな洗練された雰囲気の美男美女がふたり、
しっかりと一番奥の席でバーテンダーを相手に
エレガントな時間を過ごしているのが見えた。


私たちは入り口に一番近くて
トイレにも一番近い席だった。


私たちにはお酒を提供してくれる専属の
バーテンダーも不在だった。
私たちにはカウンターの中の
鏡に映る自分たちが相手だ。


私は自分を見ながらビールを飲んだ。
このお店にはビールすら似合わなかった。
分厚いコースターの上にグラスを置いた。
なぜここに来たかったのか大野よ。
大野を見た。


遠くのバーテンダーをずっと睨んでいるようだ。
話してみるか。


「先輩。このお店、高いんじゃないですか?」

「ん?気にすんな。好きなの飲めよ。」


かっこいいじゃないか大野先輩よ。

私がビール以外に飲めると言えば赤ワインだった。
高くても千円以内のものならガブガブ飲めた。
300円くらいの酸っぱい赤ワインが最高に美味い。


「じゃあ、赤ワインで。」

「おぅ、ワインか。やるじゃねえか。じゃあ俺はジントニックにするか。」


きっとこの会話も、
このお店には似合わない。


バーテンが来た。
私たちの目の前で鮮やかにグラスに飲み物を注ぐ。
そして何も話さずにあっという間に去って行く。
完璧だ。


「この店どうだ真田丸?」

「どうって、高そうだし、オシャレすぎて女の子と来るしかないっていうか、カップルしかいないっすよ。」

「そういや真田丸。おまえ彼女できたのか?」

「いえ、できてません。」

「そうか。でも真田丸ならきっと素敵な彼女が出来るよ。そしたらここに飲みに来ればいいじゃねえか。」

「先輩はあの彼女さんとここに来たことあるんですか?」

「ある。」


そう言ってグラスを飲み干した大野。


「そうだ真田丸。お前彼女できたらここに飲みに来いよ。俺がおごってやるからさ!な?」


いいこと言うじゃないか。
私は、このお店が似合うような男になれるのだろうか。


たった3杯飲んだだけなのに、
雰囲気にすっかりやられた私。


ずっとバーテンを睨みつけている大野。
バーテンの動きに合わせて首を動かす大野。
後ろに回り込まれてもバーテンを見続ける大野。
私は早く畳の四畳半の部屋に帰りたかった。


「どうした?酔ったか?もう帰るか。明日も早いしな。」


明日を気にするなんて大野らしくなかった。
どうしちまったんだ大野?


帰りはタクシーに乗った。
以前のように、
はしゃぐことなく大野がずっと遠くを見ていた。
急に大人になったようだ。


「彼女と何かあったんですか?」

「そうだな。そんなとこだな。」


誰も見たことがない大野が私の横に座っている。


なんか遠い存在になりそうな予感がした。



〜つづく〜

続きをみるには

残り 0字
このマガジンは購読しなくても全文無料で読めちゃうようにする予定です。 (まだ読めない話があったら何話か教えてください!すぐ公開します!) そして読んだら新聞配達したくなっちゃいます😉

真田の真田による真田のための直樹。 人生を真剣に生きることが出来ない そんな真田直樹《さなだなおき》の「なにやってんねん!」な物語。

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

いただいたサポートで缶ビールを買って飲みます! そして! その缶ビールを飲んでいる私の写真をセルフで撮影し それを返礼品として贈呈致します。 先に言います!ありがとうございます! 美味しかったです!ゲップ!