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日本未公開 映画『Histórias que Só Existem Quando Lembradas』

2011年/製作国:ブラジル、アルゼンチン、フランス/上映時間:98分
原題 
 Histórias que Só Existem Quando Lembradas 
英題 Found Memories
監督 Júlia Murat




予告編(海外版)


STORY

 時代に取り残された寂れた集落に、ある日、一人の若い女性が訪れて・・・

 本作は、闇の中から老女マダレナがランプを持ち歩いてくるシーンから始まる。
 そのランプを置いたテーブルには年代物の食器等が並んでおり、マダレナはそこでパン生地をこね始める。
 その作業が終わると夜は明け、マダレナはパン生地の入ったカゴを持って廃線の線路を歩き、友人のアントニオの待つコーヒーショップへとそのパンを届けにゆく。そして2人は一緒にコーヒーを飲み、教会へ行き、他の村人と共に(神父を入れても11人)讃美歌を歌う。初老の神父が一番若く、その他は全員60歳以上。
 その後全員で食事を取り、日が沈む頃に解散。マダレナは、また線路を歩いて家路につく。そして寝る前に亡き夫へ愛の言葉を綴り、眠りにつく。
 そのように、マダレナの(そしてこの村に住む人々の)、もう何十年も繰り返されてきたであろう日々のルーティーンをゆったりと観客へと提示する。
 
 しかしある日の午後マダレナが帰宅すると、玄関に若い女性リタの姿があった。2~3日泊まれる場所を探しているという。しかし村には宿が無いため、マダレナは少し戸惑いながらも、稀人であるリタを自宅に泊めることにする。
 翌日、マダレナはリタを他の村人達に紹介するが、皆、よそ者のリタを拒絶する。どうやら穏やかな死を待つだけの平穏な日々の生活を、部外者に掻き乱されたくないということらしい。そのような村人達は、ある意味既に(生きながらにして)死んでいるということなのかもしれない。
 村のとある墓地には鍵がかけられており、村人達ですら立ち入ることを許されない状況となっている。それは安らかな死の感覚すら、彼らが奪われているということの暗喩であろうか・・・
 
 リタは村人に冷たくあしらわれながらも、しかし少しずつ、その壁を取り払ってゆく。
 リタは写真が得意で(デジタルとフィルム両方操れる)、マダレナを撮影してゆく。マダレナはリタに写真を撮ってもらった日、数年・・・否、もしかすると10年以上ぶりに鏡の埃を拭い、自分の顔を鏡に映して観る。
 リタが村の様々な場所や村人達を少しずつ、興味と敬意を持ちながら撮影してゆくと、やがて村人達も少しずつリタに興味と敬意を持って接するようになってゆき、リタの来訪はまるで聖母の降臨であるかのように、村人たちの感じている「死」の恐怖を和らげ、「生」の息吹を蘇らせてゆく。
 そして・・・


レビュー

 写真好き「必見」の作品です。

 結論から記すと本作は、「信仰する宗教(の有る無し)」「ジェネレーションギャップ」「日常のリズムと習慣の違い(もはや文化の違いと言っても過言ではない程の隔たり)」「性別による感じ方の違い」「日常にて使用する道具の違い」等の壁を越え育む、人間の本質的、普遍的な「理解」「共感」「思いやり」「繋がり」「死生観」「喜び」「共生への道」を、静謐でありながら芳醇な香りに満ちた映像を用い、美しい陰影にその想いを託して描く、大傑作です。
 奥ゆかしくも鋭い視点を随所に煌めかせる本作は、現代という時代の抱える様々な問題への(特に世代間の感覚や習慣の断絶への)有効、且つ実行可能な対処法のひとつの理想形を描いています。
 
 物語には、若い主人公リタと、年老いた主人公マダレナ、そして他の村人達との関係の「鍵」となる「物」又は「行為」が(主要なもののみで)4つ登場します。
 ・1つ目は、カメラ(と、それにより生み出されてゆく写真たち。「デジタル」「フィルム」両方使用。自作らしきカメラでの露光時間の長い撮影もしており、もしかすると湿版等の可能性もあり)
 それらは記憶するための道具であり、記録するための道具でもあり、写し取る対象を知り、より理解するための思考を促す道具でもあり、撮影者の人間性と内面世界をその写した対象(写真に刻印された視点)を媒介にして表出せしめるためのものでもあり、それゆえにそれを鑑賞した他者に、撮影者とその撮影者の思考や愛する世界等を視覚的に知らせる(観せる)ことを可能にするものでもあり・・・(以下略)
 ※フィルムの現像シーンにも意図があります
 
 ・2つ目は、パンを作るという行為(とパン)
 それらは複数の事柄のメタファーとして有効に機能します。
 
 ・3つ目は、舞台となる村の小さな墓地の扉を封鎖(閉鎖)している錠前
 墓地のそのような状態を維持する錠前の存在は、村人たちの心理状態や状況等のメタファーともなっており、作品全体に素晴らしい効果をもたらす重要なアイテムとして機能します。

 ・4つ目は、オイルランプ
 闇を照らす道具であることから、どのようなメタファーとしての機能を持つものかは、もはや記すまでもないでしょう。
 
 というわけで、そのような4つの「鍵」を上手く利用しつつ、登場人物たちの内面や感情の流れの変化を描いてゆくわけですけれども、その匙加減と描写の仕方に、私は深く心を射抜かれました。
 
 宗教や信仰という題材を少しでも扱うと、それにより必然的に「生」と「死」を色濃く描かざるを得なくなり、それゆえにその描き方の出来、不出来が、作品の出来、不出来までをも左右してしまうこととなるように思います。
 ゆえに宗教や死生観に対する制作側の立ち位置「どのような立場から描くのか」さらにはそれを「どのように撮るのか」、「客観的に撮るのか」または「主観的に撮るのか」、は作品の質と出来、更には鑑賞者の作品への評価を大きく左右するポイントとなりますけれども、幸いにも本作の主人公リタの立ち位置や宗教への距離感、死生観等(たぶん監督の立ち位置と距離感も反映されている)は、自分の感覚とほぼ重なっていたため、リアルな感触をもって理解することが出来ましたし、深い共感に包まれながらエンドロールを迎えることが出来ました。
 
  と、ここで話しは突然ぶっ飛びますけれども、ここで本作のポスターについて少し触れておきたいと思います。
 ポスターは大枠で3種類 ↓ 存在しており、

ポスター①
ポスター②
ポスター③
ポスター③ 別パターン


 
 上記3種類のひとつ目(ポスター①)は、本作の主題を最も反映しているように感じ、個人的に一番好きです。
 ふたつ目(ポスター②)は、主人公のリタがもう一人の主人公であるマダレナを撮影した写真をメインに使用したものとなっており、鑑賞後に改めて見るとグッとくる仕様となっております。
 3つ目(ポスター③)は、村人に拒絶気味の対応受けた後のリタが、村を散策する場面のリタの様子を切り取ったものとなっており、英題の『Found Memories』を反映したものとなっています。
 
  3つのポスターはそれぞれによく考えられて制作されていますけれども、個人的には本作の内容を最も端的に示すことに成功している「ポスター①」が一番素晴らしいのではないかと思います。
 本作の主題である「信仰の有る無し」「生と死」「光と闇」「世代間に横たわる(時代的な)隔たり」と、それらの隔たりを克服するために必要な「相手への理解と共感」「ふたりの女性の幸福な出会い」「次世代へと大切なものを引き継いでゆこうとする意志(それは宗教や信仰のようなものではないもっと大切なもの)、そしてその大切なものを受け取り引き継ぐという意思」「主人公が村へともたらす光(宗教を超えた本物の光であり、生きる喜び(【健全な感情】【微笑み】【本物の祈り】)」等の要素を内包し、原題の『Histórias que Só Existem Quando Lembradas(直訳:「記憶されたときにのみ存在する物語」「思い出されてこそ存在する物語」)』とも相性の良い、さらには本作のファーストカットやラストカットとも完璧に呼応する、素晴らしい仕事です。
 
 また「ポスター①」は、カラヴァッジョ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、そしてジョセフ・ライト等の絵画作品を想起させつつ、本作がその系譜に位置しながらも、それらの時代とは全く違う「現代における宗教感(科学による自然の事物・現象の解明により多くの人々が宗教(科学を無視した経典)の呪縛から解き放たれ、疎外や差別、貧富の差、そして戦争を回避しようと祈り、行動する姿)」を問う内容であることも暗示させて見事です。
 
 
 最後に。
 本作は、無宗教の若い主人公と、信仰心の篤い老人の偶然の出会いが織り成す(そこから始まり生まれる)、「命の交流を描いた美しい祈りの物語」と言えるかもしれません。
 小さな物語を幾重にも秘め、さらには「宗教(一神教)が、人間性の最も大切な部分を犯し、集団的な機能不全を引き起こし続けている」と確信させてくれる鋭い指摘等も、静かに、しかし明確に描かれています。     
 人々の心を解放したのは宗教ではなく一体何であったのか。そして村人たちは作品のラストでどこへ向かい、誰にどのような内容を、どのような言葉を用いて話しかけるのか。是非、見届けていただきたいと思います。そこには本物の「救い」と「祈り」が凝縮されておりますゆえ。
 
 まだ×2書きたいことは溢れてきますけれども、今は一先ず、終わりといたします。



「記事が長すぎる。もっと要約した【あらすじ】お願い」という方のための【あらすじ】

 時代から取り残され、宗教の教えに縛られて、生きる喜びを見失ってしまっている寂れた村の人々の頑なな心を、偶然村を訪れた女性リタが、村の老女マダレナとの交流、そして自身のライフワークである写真撮影等を通して解放し、生きる喜びを蘇らせてゆく美しい物語。




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