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#読書

『阿修羅ガール』感想/そしてゼロ年代とは何か

『阿修羅ガール』感想/そしてゼロ年代とは何か

 本作は、ゼロ年代を「批評する小説」だ。ゆえにまずは、ゼロ年代、そしてその前触れとなった90年代後半から話を始める必要がある。

 90年代後期からゼロ年代にかけて生み出されていた作品に、一つ「自我の問題」という共通項を見出すことができるだろう。『エヴァンゲリオン』『攻殻機動隊』『PERFECT BLUE』『妄想代理人』、そしていわゆる「セカイ系」にもいえることだ。

 ところで、セカイ系とは何な

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『檸檬先生』(珠川こおり)感想

『檸檬先生』(珠川こおり)感想

主人公の物語は極めて陳腐。が、その裏側でひっそりと進行し、終盤突如として表舞台に出現し破局へと至る「檸檬先生」の物語は、素晴らしい。表層にはつまらないが、深層には傑作という、きわめて危ういバランスの上に成り立った良作。

思うに「自我」の確立、あるいはその主張こそが、作品全体としての主題だろう。読み始めてすぐに感じたのは、「少年」の自己主張の希薄さからくる退屈であった。終盤に近付くにつれてそれは徐

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『タコピーの原罪』感想

『タコピーの原罪』感想

 何よりもまず目を引くのは、タコピーと久世しずか(及びその周辺人物)との対比だろう。理想的な道徳観念、つまり綺麗事に生きるタコピーは、「現実の厳しさ」に直面する。ここでいう道徳観念は、宗教的理念と言い換えても構わない。
 古代において人間は、一方的に与えられる神からの教え(宗教的理念)を至上のものとして受け入れた。作中冒頭におけるタコピーの顕現は、つまるところその再演に他ならない。タコピーの故郷で

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『メタバース進化論』感想

『メタバース進化論』感想

 メタバースは、近年にわかに注目を集めるフロンティアの名称である。本書は、その原住民自身による入門書。自らの体験と統計を基に記されるメタバースの現状や、経済や哲学の観点から描かれる展望に、好奇心をくすぐられる。
 わたしはふと、希望に満ちたその筆致から、小学生の頃に読んだ『あたらしい憲法のはなし』を連想した。戦後日本で、平和や民主の素晴らしさをうたった官給本だ。『メタバース進化論』も、新しい時代の

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「ユア・フォルマ」感想

「ユア・フォルマ」感想

 人間の記憶へ接続し、捜査を行う電索官エチカ。しかし、それはただ一人で能力を発揮できるものではない。記憶から引き上げる補助官(それも能力のみあった者)の存在が、必要不可欠なのである。天才といわれる彼女に対し、あてがわれたのは高性能のアンドロイド。前例のない相方ともに、彼女はとある事件の捜査に当たる——。

 本作を読み終えてまず浮かぶのは、「面白い」というごく単純な感想である。ストーリーの作り方に

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冬乃くじ「国破れて在りしもの」感想

冬乃くじ「国破れて在りしもの」感想

「ありし」という表現から分かる通り、杜甫が現在を描いたのに対し、本作は過去を描いている。独裁的な市長によって、時を遡っていく一つの町……。だがこれは、「逆行」というよりも「変化」と捉えるべきかもわからない。終盤で、「冬にセミが鳴いた」からだ。
 物事は本質へと帰着する。瞬間的な情報は、集合し映像へと昇華して、編集により回帰する。人は無に、世界は自然に落ち着くだろう。それこそ、「春望」が冒頭の文で描

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「竜のグリオールに絵を描いた男」感想——『始祖の石』の違和感と不可視の束縛

「竜のグリオールに絵を描いた男」感想——『始祖の石』の違和感と不可視の束縛

「竜のグリオールに絵を描いた男」
「鱗狩人の美しき娘」
「始祖の石」
「嘘つきの館」

 本書は以上の4編に、著者による「作品に関する覚え書き」と、おおしまゆたか によるあとがきから成っている。

 解説には、次のように書かれている。
「デビューからしばらくは、膨らんでくるものを抑えこみ、(大きすぎる執筆対象を)コントロールしようと努めていた。(中略) その努力が最も成功しているのは「始祖の石」だ

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「箱男」感想 ——反逆——

「箱男」感想 ——反逆——

「箱男」と呼ばれる存在がある。段ボール箱をすっぽり被って、街を徘徊。専ら覗き穴から外部を伺い、あらゆる人間に無視されて、のそのそがさごそ歩き続ける。浮浪者とは違う、もっと下位の存在。市民であることすらやめた、匿名の誰か。「見ること」に取り憑かれた一人のある箱男は、箱の中で、一冊のノートに箱男の記録を始めていた……。
奇怪な彼らの生態が、生々しい現実感を伴って、克明に描かれる。本物と偽物、能動と受動

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「族長の秋」感想

「族長の秋」感想

 カリブ海沿岸に位置する、旧植民地であったという架空の国家。欧米諸国が引き上げたのち、独裁者として権力を一手に握ったのは、肥大した金玉にヘルニアを患う男だった。残虐であったり、反対に良心的であったりする彼の行動を、さまざまな人の視点で描いていく。
 
 しかし、「さまざまな人の視点」と言っても、ただ単純に切り替わるだけではない。
 彼らは時に軍人であり、時に一人の平凡な市民、あるいは女学生であった

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「一九八四年」(ジョージ・オーウェル)感想

「一九八四年」(ジョージ・オーウェル)感想

 党は真実を、現実を支配する。また言語を支配する。敵への憎悪を掻き立てて、党への忠誠を約束させる。人々は誰かを見下すことでアイデンティティを獲得し、強大な力を持つはずのプロールは、愚かで無関心に生きている。それらは全て、我々の生きる現実と、同じ姿をしているように私は思う。
 多数派は常に正義であり、常識外れは断罪される。言語は文法によって人工的に支配され、煽動的な政治家は、次から次へと現れる。そし

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「罪と罰」(ドストエフスキー)感想

「罪と罰」(ドストエフスキー)感想

本作に描かれているのは、絶望的な社会の閉塞に他ならない。あらゆる努力に関わらず、抜け出すことの叶わない貧窮な生活に、人々は過去、未来への幻想にすがる以外方法がなかった。その現実、社会、言うなれば全体的な力によって運命を固定された人々のあり方が、何よりも目につくことだろう。主人公は、いわば究極的な方法によって、その固定から逃れようと試みた。しかし他の人々の例に漏れず、ついには社会の定める「罪と罰」に

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「星か獣になる季節」(最果タヒ)  感想

「星か獣になる季節」(最果タヒ)  感想

「ぼく」の視点で描かれる、青春の夏。殺人の容疑をかけられたアイドルを救うため、信じがたい行動に出る森下を、じっと近くで眺めている。明らかに異常な彼らの夏に、何故か共感できてしまうのは、丁寧な筆致は勿論のこと、そこに描かれる青春の姿が、現実のそれをあまりに美しく切り取っているからに他ならない。

誰もが正しさと誤りを持ち、時にそれは両立する。誰かが悪になれば、その行いは全て悪行と解釈されるし、どんな

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