見出し画像

冬乃くじ「国破れて在りしもの」感想


「ありし」という表現から分かる通り、杜甫が現在を描いたのに対し、本作は過去を描いている。独裁的な市長によって、時を遡っていく一つの町……。だがこれは、「逆行」というよりも「変化」と捉えるべきかもわからない。終盤で、「冬にセミが鳴いた」からだ。
 物事は本質へと帰着する。瞬間的な情報は、集合し映像へと昇華して、編集により回帰する。人は無に、世界は自然に落ち着くだろう。それこそ、「春望」が冒頭の文で描いたように。
 だが作者は、そこにもう一つ大切な要素を発見していた。物語全体を通し、絶えず響く「音」である。例えばソレは、抗議団体の笛太鼓、小学校の合唱であり、あるいはまた、収容所からの音楽だ。
 どのような形であれ、営みからは音が生まれる。外観の変化など問題ではない。音楽こそがほんとうなのではあるまいか?
 市長によって作られていく、空っぽの建築がそのことを何より雄弁に語る。
 鮮やかに異界へと読者を誘う、良作だった。

この記事が参加している募集

読書感想文

いただいたサポートは書籍購入費に使わせていただきます。