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安定した道を選ぼうとしない事に、不安ばかり抱いていては先に進めない。
つい最近、母からもらった言葉である。
ようやく、この言葉を受け取れた。アジア・欧米を周って帰ってきた頃、つまり7年前からずっと訴えかけてきた私の生き方・目指す方向について、やっと、受け入れられつつあるのだ、と目頭が熱くなる。
私には、そもそも安定という言葉の定義がわからなかった。
偏差値の高い高校/大学を出て、大きな企業に勤める。それが世にいう、ある一定期間までの成功した人生である社会通念が
日暮里コンコースのパン屋でクイニーアマンを見て思わず涙腺が緩んだお話。
パンを食べられるようになった。
一般的に、「パン」を食べられるように「なる」なんて表現はあまり聞かないのも重々承知しているので、「はあ、、?」という胸の内が勝手に聞こえてきたりする。
だけど私にとって、ここ日本においてこの割と当たり前に普及している食べ物を口にすることが、この十数年はほぼなかったのである。
そして私にとって特に大きいのは、「食べる」ではなくて、「食べられる」ということ。この2
歯がなくなろうとも、わたしはまだ生きていく。
歯が泣いた。前歯から聞こえる奇妙な音。
違和感に包まれる中、鏡から突きつけられる"歯が折れた"という現実に思わず涙が溢れた。
見た目は障害レッテルを貼られることはなくなり、皮肉にも健康と呼ばれた20歳の頃。
まだ、普通に食べる食事を1日1回できるかできないか、なかなか飲み込むことができない時。
勢いだけ良くかき込む最中、一緒に箸も噛んでしまったようだった。
一つひびが入ると、次々に上前歯の6
私を救ってくれたのは、ベジタリアンが当たり前の世界
摂食障害になったのは、高校1年の夏だった。
水以外を受け入れられなくなって、3か月で10キロ痩せた。半年後には30キロを切り、25キロも目前となった。
今年わたしは20代最後の年を迎えている。あんな日々が10年以上も前のこととなった。29歳の誕生日を想像することなどできなかったあの頃の私へ。そして、現在進行形で苦しむ誰かへ。
これは、今、かつて普通と思っていた生活を送りたくてもできない人への