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歯がなくなろうとも、わたしはまだ生きていく。

歯が泣いた。前歯から聞こえる奇妙な音。
違和感に包まれる中、鏡から突きつけられる"歯が折れた"という現実に思わず涙が溢れた。

見た目は障害レッテルを貼られることはなくなり、皮肉にも健康と呼ばれた20歳の頃。

まだ、普通に食べる食事を1日1回できるかできないか、なかなか飲み込むことができない時。
勢いだけ良くかき込む最中、一緒に箸も噛んでしまったようだった。

一つひびが入ると、次々に上前歯の6本すべてが差し歯となった。

わたしも泣いた。かなり泣いた。
一生付き合うことを提示された訳だから。
笑えなくなった。口を開けられなくなった。
やっと、見た目だけは健康的になったのに。
やっと、特別なイベントごとには皮を被って、何とか普通らしく食べられるようにし、どうにかして飲み込む術を覚えたのに。

長いトンネルの向こうにはまだ、トンネルが続くことを思い知った。

今でもまだ、わたしは生きている。
生きているのだ。
あのトンネルを認知してから、10年近く経つけれど。
失った6本を意識しながら、たまに差し歯が取れたりしながら、生きている。その度に泣いている。怖くなる。
だけど、きっと、息を吸って吐くことができるだけで、素晴らしいことがあるんだな。歯がなくたって、隠せるのだから。取れたって、付け替えられるのだから。偽物であっても、食事を味わうことができるのだから。笑えるのだから。

わたしは今年、29歳。
あんな状態になってから初めて食べたラーメン、お重、天ぷらもついここ数年のこと。
カツ丼は今年に入ってから。

長いトンネルの中、嬉しくて今日も泣いている。

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