安定した道を選ぼうとしない事に、不安ばかり抱いていては先に進めない。
つい最近、母からもらった言葉である。
ようやく、この言葉を受け取れた。アジア・欧米を周って帰ってきた頃、つまり7年前からずっと訴えかけてきた私の生き方・目指す方向について、やっと、受け入れられつつあるのだ、と目頭が熱くなる。
私には、そもそも安定という言葉の定義がわからなかった。
偏差値の高い高校/大学を出て、大きな企業に勤める。それが世にいう、ある一定期間までの成功した人生である社会通念があることは理解していた。わたしも途中までは、手っ取り早いから目指していたわけだし。
だけど、わからなかった。だってそれよりも、自分の特性を理解し、自分の好きの方向性を定め、自分だけの人生を切り開こうとしている世にいうアーティスト型人間の方がよっぽど輝いて見えたから。大手に勤めていれば最期まで安心などという概念が崩れ落ちるこの時代において、安定(と信じたい何か)にすがって生きることほど怖いものはないと思っていた。
だから、いつでもどこでも誰とでも生きていける何者かになりたという気持ちで過ごしてきた。それが何かは未だわからないけど。その過程で大手なのか中小なのか、個人なのか、どういう働き方になるかはわからないし、どうでもよかった。
わたしは私が納得する道しか選びたくないわけだから。
私は新卒の就職活動で今までの人生の集大成として得た大手家電メーカーを蹴り、小さなベンチャー企業へ転がり込んだ。限りある命を懸けるには、どちらが面白そうかという尺度によって。
そんな行動を親から許してもらえるわけでもなく、裏切り者だのなんなのと、ここ7年強は会えば涙の戦いに包まれていた。
もちろん、私を思ってのことでもあると理解している。そして彼らが費やしてきた精神・時間やお金とを考えると、期待に応えられなくてごめんなさい、とも思う。本当に申し訳ない気持ちがあるからこそ、決断に至らない日々もあった。
だけど。今年の終わりに、わたしは今までのスタイルとさよならする。会社員をやめてみることにした。
こんな考え、会社員を始めるずっと前からあった選択肢である。そもそも生きることにおいて、会社員であること・あらぬことに重きをおきたくなかった。数年やってみたから、次は違う生き方をしてみたい。だから私にとっては、ようやくその決断をできたのね、おめでとう。という感じ。
だけど彼女には無い生き方だった。だから、彼女に伝わらなかったことが多々あった。意図的に伝えていないことも。
私がどうやって・何を大切にして生きていきたいか、どうしてそう思うかも。先日、きっかけがあり言葉にした。彼女に渡した。そして文頭の言葉をもらえた。それが以下記事。
それは、私がずっと後悔し引きずってきた想いであり、だからこそこれから成し遂げたい暮らしである。
とても単純で、単調で、でも、温かい時間。それさえ送られれば極限何でもいいと思っている。だから、それを得られるために、時間の優先を明確にしたかっただけ。
安定した道を選ぼうとしない事に、不安ばかり抱いていては先に進めないのだなと思います。
一番言ってほしかった人から、ようやく手に入れた言葉を噛みしめながら、今年わたしは、さよならをする。今までしがみつき、守ろうとしていたものを手放して。
そして得られる初めましてに、喜々とする。
幸い手は空っぽで身も軽い。
ゆるり軽やかに風へ乗り、青い空を渡り繋いで過ごせたら幸せだ。
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