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土竜のひとりごと

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エッセイです。日々考えること、共有したい笑い話、生徒へのメッセージなどを書き綴っています。
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2021年1月の記事一覧

第213話:捨てられない気質

第213話:捨てられない気質

子供の頃は「あてつぎ」というのがあって、服やズボンが破れると別の布を当てて糸で縫い付けた。「あてつぎ」と僕らは言っていたが、一般には「つぎあて(継当)」と言うらしい。

若い世代にとっては「死語」なのかもしれない。

昔は貧乏だったので、衣服など次から次へと買えるわけではなく、三男坊の僕は兄貴の「おさがり」、いわゆる「お古」を着ていた。セーターとかズボンとかが破けると、オフクロやオバアチャンは、こ

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第157話:富士山を世界遺産に

第157話:富士山を世界遺産に

見出し画像は今朝の富士山です。
左に有明の月が残り、ほんのり朝焼けしていました。

図書館に勤務していた時に日本図書館協会からの依頼で「図書館雑誌」の「れふぁれんす三大噺」というコーナーに原稿を寄せたのですが、昨年、『れふぁれんす百題噺』として書籍化された際に採録されました。
ふと、この朝焼けの富士を見ながらそのことを思い出し、引っ張り出してみました。

こんな文章です。

『れふぁれんす百題噺』

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第176話:受験生への愚私信

第176話:受験生への愚私信

老人のたわごとだと思って聞いてください。

日本には「住めば都」といういい言葉があります。物理的な「場所」もそうですが、どんな境遇でも、自分が身を置いた環境を受け入れて、そこを最善のものにしようという意志があれば「幸せ」が得られると読める言葉です。
逆に、どんな境遇にいても、不満しか感じられなければ、そこを「都」とすることはできません。「今」を受け入れて実直に豊かに生きる生き方が大事なのです。

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第168話:捨てられないもの

第168話:捨てられないもの

定時制に勤めていた時、生徒と話すのは新鮮だった。
僕の常識にはない新鮮な感覚を彼らが持っていたからである。荒くれから引きこもりまで彼らの生き方は千差万別、多種多様、波乱万丈に満ちていて、思わず「そんな生き方もあるのか」と思わされたことも少なくない。

例えばほんの一例、小さなことなのであるが、ある生徒がこんなことを言ったことがあった。彼は朝の5時から午後の4時まで、毎日コンビニのバイトをし、夕方か

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▲寝言

▲寝言

これは愚話である。

学生時代、僕は体育会系のクラブに属していたのだが、年に4回の合宿があって、これを合わせると年に延べ1カ月強の日々を、合宿所あるいはいずこかの宿舎で過ごしたことになる。

それに命をかける大学では1年中合宿生活ということになる訳で、1カ月余という期間はさほど長いものではないのだが、今にして思うと懐かしいテニス漬けの日々だった。当然、先輩後輩入り混じっての共同生活ということになり

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第190話:なぞなぞ

第190話:なぞなぞ

 
授業はお互い疲れるので、時々、生徒に「なぞなぞ」を出して遊ぶことにしている。

例えば、(これはローカルな質問で静岡県東部を地元としている人でないと分からないかもしれない)

答えは二人が久しぶりに再会した時に言うであろう、「いとう」「よお、かとう」という挨拶をそのままつなげて口にすると、「イトーヨーカ堂」が正解ということになる。イトーヨーカドーは沼津にもあるので、地元の高校生なら割とすぐに答

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第117話:散髪

第117話:散髪

[子育ての記憶と記録]

この4月、息子が中学生になった。
別にそれはありふれた事実なのだが、何だか愕然としたものが胸をよぎる。自分が30歳を過ぎ40歳を越えたときにも確かにそれなりの衝撃はあったが、一方で「こんなもんか」という思いも胸の中には同居していた。

しかし、息子が中学生になったという事実には、何故か大いなるショックを感じている自分がいる。
中学生の親と言えば、それはもう筋金入りのオジサ

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第30話:忘却とは忘れ去ることなり

第30話:忘却とは忘れ去ることなり

“忘却とは忘れ去ることなり”という人口に膾炙した言葉がある。

まったく当り前なことを言っているこの言葉の、しかし、ひどく単純でしかも素朴なリズムは、まさしく「なるほど」と人を納得させるだけの響きがあって、どこか高尚な何かを感じさせたりする。

自慢する訳ではないが僕は全く記憶力に優れていない。ほとんどそういう能力に欠けていると言って過言ではない。

ついこのあいだも、テレビを見ている時につまらぬ

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第25話:普通の玉子焼きと異常な卵焼き

第25話:普通の玉子焼きと異常な卵焼き

4月のある日、カミさんが「ねえ、これ読んでみて」と言って一冊の雑誌をもって寄って来た。“暮らしの手帖”という雑誌の投稿欄のある文章を指して、これを読めと言うのである。

どれどれと読み出してみると弁当のおかずの話で、妻のやっていることも夫の応対の仕方もどことなく我が家に似ている。

“いずこも同じなんだ”と安心やら不思議やら、そんな思いに浸っていると、横でカミさんがニコニコしながら
「ウチと似てる

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第2話:テレビ雑感

第2話:テレビ雑感

これは随分昔、まだ20代の頃に書いた話なので、そのつもりでお読みいただきたい。「宮崎緑」と聞いて分かる方がどれだけいるだろう?

一人暮らしをしていた頃の話である。別に一人暮らしということにさしたる感慨があるわけでもなかったが、よほど無能な顔付きをしていたようで、「毎晩一人で何をしているの」と、人からよく聞かれた。

よく考えるとこれほど迷惑な質問もないのであって、取り立てて人に言えるようなことを

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第142話:パチンコ屋の女

第142話:パチンコ屋の女

人生には「もう二度とないだろう」という瞬間があって、芸術家などというのは、その一瞬をことばや絵や写真や音符によって、ひとつの普遍的な形に昇華させることができる種類の人達であるのだろうと時々思う。

近藤芳美
たちまちに君の姿を霧閉ざし 或る楽章をわれは思ひき
小野茂樹
あの夏の数限りないそしてまたたったひとつの表情をせよ
吉川宏志
花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった

これら

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