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#内省
居心地の悪さとともにいられるか#77
現在23時16分。ILPの読書会を22時に終え、気がつけば1時間経っていた。色々作業していたようにも思うが、時が経つのはあっという間だ。もう少し、時の流れをゆっくり感じる時間を取りたいものだ。
さて、今宵の読書会の話をしたい。今日の読書会はとても居心地が悪いものだった。それは、安心安全の場ではなかったという意味ではなくて、単に自分自身の問題だった。おそらく場で話されている内容が、自分に琴線に触れ
2021年の漢字は「愛」#76
久しぶりに夜遅くまでコーチ仲間と対面でおしゃべりした。年末だったこともあってか自然と振り返りの話になり、2021年を漢字一文字で表すと?というお決まりの問いでおしゃべりしていた。
自分は「愛」だった。
愛をたくさん受け取ったし、愛についてたくさん考えた1年だった。(エーリッヒ・フロムの「愛するということ」は読んでよかった)
おしゃべりしながら大事だなと思ったのは、受け取った愛に対しては自覚的
傷ついたとしてもあの人と一緒にいたい#75
あの人と一緒にいる時の自分は好きではない。
それでも一緒にいたいと思うのは、ただの執着なのだろうか。
客観的に見れば、ただの執着なのだろう。色んな人に話してみても、離れた方がいいと言われるし、自分でもそう思っている部分が大きくある。
でも、それでも、今は一緒にいたいと思っている、願っている自分がいる。それは執着が生む幻想なのかもしれないけれど、今はただその自分の存在を承認したい。
そして、
実現したい未来のために、本気であるかどうかは関係ない#74
今日は皇后杯全日本バスケットボール選手権大会の準々決勝を実際に代々木体育館に赴き観戦した。女子バスケ日本代表がオリンピックで銀メダルを取ったことで、もう少し座席が埋まるものかと思っていたが、そうでもないらしい。それは平日であり準々決勝でもあったからかもしれない。
こういう公の場に出ることを随分とためらっていたので、久しぶりの会場観戦ということも相まってか非常にワクワクしながら見ていた。
やはり
執着していたものが剥がれ始めた音#73
現在21時52分。とあるワークショップに参加し終え、毎度ではあるのだがエモい感じに浸っている。この美しいものを見たくて生きていくんだと思ってもいいくらいの時間であった。
さて、そんな高揚感とやさしい安心感の中、今日のことを思い出す。
今日は、ふとした瞬間に執着していたものがどうでもよくなったなと思う瞬間があった。
つい昨日の日記には次のようなことを書いていたはずなのだが。
愛されたいなら愛
「自分を愛する」と「自分を甘やかす」を混同していたかもしれない#72
先ほど、コーチ・エィアカデミアを通して出会った方々とお話しする機会があった。たったの1時間ではあったが非常に濃い時間であったため、今浮かんでくることを残しておきたい。
テーマとしては、コーチングを学び始めたきっかけやコーチとしての目標だった。自分は「色々たくさんとっ散らかりながら学んできたけれども、自分にとってのコーチングとは何かを考えたい」と話していた。
コーチングという幻想に魅了された自分
みっともないと思っても続けることの大切さ#71
続けるというのは一つの修行だ。そうでなければ、続けることに関するハウツーが世に溢れるわけがない。なかなかできないからこそヒントが求められ、それに応えるようにヒントが溢れる。
今日は高校の時の友達から何の前触れもなく突然連絡が来た。そしてフットワークが軽いことを売りにしている自分は勢いのまま会って話したのだった。
その友達は非常に図々しい。これはその人の良さであり自分の好きなところでもある。
手放さなければならないのか#70
「手放す」
そんな言葉に多く触れるようになっている。
確かに、手放すことによる恩恵は大きい。自分という器の大きさには限度があって、何でもかんでも入るものではない。手放すことによって余白を作ることは自分をととのえる上で非常に重要なものである。
手放すことで、新しいものを出迎える。
繰り返すようだが、これは大事なことだ。
ただ同時に手放しちゃいけないものもあるのではないかと思う。例えば「〜し
奥底にしまった孤独でいようと決めたときの日記#69
孤独は不安だ。いてもたってもいられなくなる。すると、ついつい消費できるものに飛びつく。例えば、ドラマやYoutubeなどの娯楽。特に頭を使わなくてもいいやつ。感じるものが何もない、でもなんか楽しいもの。見終わった後に何も残らないもの。ずっとそうしてきた。自分の感情を誤魔化してきた。
それだけならまだいい。問題は人を巻き込むときだ。不安になったら誰かを頼ってしまう。それも搾取するように。自分はやば
自分という居場所の安心感は何%?#67
今は夜の22時42分。ここ最近、なんだか疲れがうまく取れない。正確にいうと、疲れを取るための行動をしたがらない。そして、考えてもよくわからない謎の欲求不満感がある。
そんなことを感じていると、「自分は自分という場所に生きているよな」ということがふと浮かんできた。
自分という場所に生きているとは、自分の身体とともに生きているということになるであろう。別の言葉で表すと、自分という意識が自分の身体と
壊すためには、まず作らなければならない#64
人生には、やる前から結果がわかっていたとしてもやらなければならないことがある。
そんなことを自分もドラマや漫画の主人公のように言ってみたい。
自分が辿っているのは、すでに何人もの人たちが通った道。そして、その先には何もないことがもうわかっているのに、自分の目で確かめずにはいられない。
歴史から学ぶ大切さはこのようなところにあると思うが、一方で人間は愚かだから仕方がないとさえ思う自分、その愚か