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心の安全基地はあるか#65

それはいつ頃だったであろうか。寝ることが苦手な自分は常に誰かにそのことを話していた。職場の人たちや友達に対して。そして、実際に何とかしようと、朝バナナを食べてみたり、散歩をしてみたり、夜はスマホを触らないようにしたりしてきた。

どれも一時的には効果があったのだが、なかなかその習慣が続かない。当時はどうしたら心地よく寝られるようになるんだと悩んでいた。今思えば、続かないというよりは続けたくないという感じだったのだろう。

ただ、気がついてみれば、いつの間にか寝ることに対する悩みがなくなっていたのだ。朝バナナを食べても、散歩をしてもいないし、夜はスマホを触りまくっている(笑)

何が変わったのだろうか。

ひとつだけ変わったのは、心地よく寝ようとすることを諦めたことだった。

寝るのが無理だから、起きている間に好きなことしてしまおう。アイスが食べたくなったら食べるし、スマホを見たくなったら見るし。

結局のところ、自分で自分に制限をかけていたのが原因で、寝られなかったり習慣が続かなかったりしたのは強制的な制限からの反発だったのだ。

夜は寝なければならない。そのためには、スマホを見ないようにしなければならない。日中は運動をしたほうがいい。散歩を取り入れたほうがいい。

と言ったように、自分の頭の中は誰かにとっての心地よく寝られる状態を目指して「〜しなければ」と「〜したほうがよい」で埋め尽くされたいた。つまり、自分にとって心地よく寝られる状態とは何か?という視点が欠けていたのだった。

コーチングを学んでいるものの、自分の視点を把握するのは自分であるが故に難しい。大体コーチングでは、大体以下のように物事を考えていく。

①そもそもなぜその状態になりたいのか?(背景や動機)
②その状態になることで何を手に入れたいのか?(目的)
③その目的は、本当に自分がしたいことなのか?(感情や欲求の確認)
④その状態を自分基準で言語化してみると?(基準の設定)

自分の場合は、③④の視点が欠けていたことになる。いや、軽視していたというべきか。ではなぜ軽視していたのだろうか。それは、おそらく「これができるのは当たり前だ」という信念があったからだろう。自分がしたいことではなかったとしても、自分基準ではなかったとしても、それができること(今回でいえば心地よく寝ること)が当たり前である。当たり前ができないのはおかしい。だから、やらなければならない

こうやって自分に制限をかけ苦しめていたのだった。その制限から自分を解放した結果、いつの間にか心地よく寝るということが達成されていたのである。

そんなことを考えていると次の本に書かれている内容を思い出した。

この本に、コーチングの基本原則は「安心感で人を動かす」というものが書かれていたように思う。

まずは、自分なりの方法で(全くのオリジナルでなくてよく、自分ができそうなもの)自分を安心させることが、肝心だ。

安心感は挑戦の土台である。そもそも生きるというのはサバイバルだと思ってもいいくらい過酷だ。毎日生きることに挑戦し続けている。今もどこかで戦っている人がいる。

「ゆっくりで大丈夫」

大切な人からもらった言葉を思い出す。一呼吸してから大切なことをもう一度確認してみる。

無意識のうちに自分に欠けている制限に気づき、自分のためになっていないのであれば、その制限から自分を解放する。

コンフォートゾーン、ストレッチゾーンという考え方もあるが、常にどちらかにいなければならないわけではない。帰る場所があることがかえって自分をより高みへと向かわせることになることもある。

自分の心の安全基地を確認しながら、生きていきたい。

2021.12.7. @朝瞑想後浮かんできたこと

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