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記事一覧
引っ越しを決めた井の中の蛙#114
自分はこの社会で生きていくことということについて何も知らなかった。
そんなことを引っ越し作業をしながら感じている。
例えば、お金のこと。
この家に住み始めたのは大学生の時だ。
その時は自分で決めるのが面倒でそのほとんどを親に任せていた。
自分は絶対的に両親に守られていた。
無知であることを恥じながらも、それでも甘えていたのだ。
それなりに頑張って生きてきたつもりだったが、その頑張りは井の中
一生分の幸せはすでに手に入れているのかもしれない#113
時刻は夜の10時44分。
今日は職場でとても苦しくなることがあった。それは自分以外の誰にとってもほんの些細なことである。しかし、自分にとってはものすごく辛く、苦しく、喪失感のあるものだった。
できれば聞きたくはなかった。その人以外の口からは。
もうかれこれずっと考えていることだ。きっともうあの人とは関わることはない。そう思い込んでいるらしい。奇跡のようあの時間はもう2度と繰り返されない。まさ
必要な抑圧とは?#112
ILPではシャドー・ワークを通して、抑圧を解除し、解放したエネルギーを自身の成長と変容のために振り向けることができるとされている。
この文言を表面的に受け取った自分は、抑圧は悪でシャドー・ワークは善だ、と単純化してしまった。そう捉えることによって確かに実践の頻度は高まった。そして随分と無意識に自分を影響しているものや自分の行動を既定しているものに自覚的にもなったように思う。
これからもシャドー
あの人に惹かれる理由#111
どうやら痛みをオープンにしてくれる人を好きになるらしい。これは弱みを見せてくれる人とも言えそうだ。そんなことをふと思う。
それは、自分という存在に安心安全を感じてくれているとわかるからであり、さらには自分が役立つ存在であると感じられるからであろう。自分はこれまでこの嬉しさのことを好きと捉えていたのかもしれない。
さらに付け加えるとするならば、自分が弱みを見せられることにもなり、自分自身が安心安
人生が変わるとは#110
人生が変わるとは何なのか?
どうやら自分は人生が変わるということを、まるで物語がガラッと転換するように捉えているらしい。
これまでの生き方を揺るがすような衝撃的な体験があれば、一気に転換こともあるだろう。
しかし、そのような体験は稀だ。
だから、漠然と「人生を変えたい」と思った時、どのように変えるかではなく、どうなったら変わったといえるのかとそれは現実的なのかが大事なのだろう。
コーチング
自分にとって書くことは忘れることなのかもしれない#109
リフレクションジャーナルを再開し始めて109本目となる。再開し始めたのは10月ごろだったか。
誰かの物語を生きようとしていたのだと思う。
でも、これからの目的は違う。正確に言えば以前のものは内包しつつも、ただ「自分との関係性をよくしたい」これに尽きる。
そのために、自分がどういう物語で生きているのか、自分がその物語をどのように語っているのか、そしてその語りをどのような物語としてみているのかを
ためにならない内省を減らす#108
今日は満月だ。昨年あたりから満月を見るのが好きになって1ヶ月に1度来るその日を楽しみにしている自分がいる。新月では満月に向けて増やしたいことを願うといいと聞いてからというものどこかに書き留めるでもなく心の中で新月の度に何かを願っている。
今は東京タワーにひとりで来ている。
前回の新月に願ったのはなんだったろうか?もう忘れてしまったいるが、きっと必要なことは叶ったのだろう。自分とつながる時間を増
自分の無知を恥じるのではなく観ること#107
今話題になっているニュースがある。
そのことについては知らないことが非常に多い。どこかざわざわした気持ちがあるのだが、これはニュースの内容そのものなのか、知らないことに対してなのかはわからない。きっとどちらもあるのだろう。
体感覚としては、胸がキュッと締め付けられるようなものがある。自分が何も知らないことを糾弾するかのようだ。
しかし、どれほど熱心に“知ろう“としたところで、全部を知ることは
”境界線を曖昧にすること”と”溶ける”の違い#106
常々人と溶けあいたいと思ってきた。耽美的なものだと思っているらしい。そして、これまでは境界線を曖昧にすることがそれだと思っていた。
しかし、それでは人と溶けるということは成し遂げられないようだ。
むしろ、人を傷つけてさえしてしまった。
人と溶けるというのは、わたしがわたしでありながら、わたしでない存在に身を委ねること。
境界線を曖昧にするというのは、わたしなのかあなたなのかわからない状態にな
学習者という安全基地#104
学習している間は責任を求められない、とでも思っているのだろうか。
いつになったら学習者という安全基地を抜け出すのだろうか。
そんなちょっぴり自分を批判するような声が聞こえる休日。
この声に苦しめられていた時期もあったが、今はちゃんと受け入れられている。
そう、今必要なのは実践知。実践という挑戦場にでる時が来ている。先の声はこのことを教えてくれているのだ。
実践するために必要なことは「小さく
ここが勝負所。#103
世界に絶望するのは簡単だ。
全部世界の責任にしてしまえばいいからだ。
自分にとっての絶望とは、すなわち楽をすることである。
どうやら絶望するという気持ちを感じる代わりに自分の責任を放棄できるというルールを課しているらしい。こうして言葉にしてみるとどこか納得感がある。
一方でそうすることに抗ってきた自分もいる。しかし、うまくいった試しはない。
だから、これまでは本質的には同じ物語を、形や色
ひとりでいる練習②#102
誰かに話したくなるこの気持ち。
でも、離してはならないこの気持ち。
そんな葛藤を抱えながらも、生きるために「忘れる」を使っていくわたし。
忘れてはならないものもあるのではないか。
いや、それは手放していいものではないか。
大切なのは恐れずに言葉にすること。自分の外に出してみること。それをありのままに観ること。
一番必要なのは誰かの承認ではなく、自分の承認。
自分の中にある他人の存在を
ひとりでいる練習#101
昨年の誕生日は色々な意味で節目だった。たくさんの人にお祝いされ、自分の命が最大限に承認された日。
そういえば、そのときに「一年後にどうなっていたいか?」を言葉にした。ふと寝る前にそのことを思い出しのでつらつらと手が動くままに今書いている。
二を知るために一を知る。そんな一年にしたい。
こういうことを言っていた。
ここでいう「ニ」とは「ふたり」のことを指す。自分は今まで「ふたり」が何たるかを