見出し画像

自分にとって書くことは忘れることなのかもしれない#109

リフレクションジャーナルを再開し始めて109本目となる。再開し始めたのは10月ごろだったか。

誰かの物語を生きようとしていたのだと思う。

でも、これからの目的は違う。正確に言えば以前のものは内包しつつも、ただ「自分との関係性をよくしたい」これに尽きる。

そのために、自分がどういう物語で生きているのか、自分がその物語をどのように語っているのか、そしてその語りをどのような物語としてみているのかをただ知りたいのだ。今はそれだけで十分だろう。

あれから自分との関係性は随分とよくなったように思う。いろいろな取り組みが影響していると思うがこのリフレクションジャーナルも一役買っているだろう。

どんな風に役立ったかといえば、きっと「忘れる」ことだ。

自分にとって書くことは、頭の中のものを外に出すこと(言語化)であり、すなわち自分から切り離すことである。不純物を外に出すイメージに近いかもしれない。

よく「考えすぎだよ」などと言われる自分にとっては、書くことが自分のためにならない思考を手放すことに一役買っているのだ。つまり、ためにならない思考をやめることを指して「忘れる」と捉えている。

今、このタイトルでこのnoteを書いているということは「書くことは忘れること」ということそのものを忘れようとしているのかもしれない。

それは「書くことは自分の大切な願いに気づくこと」に移行しようとしているからな気がしている。

2022.2.27.22:35

ここから先は

0字

【こちらは2022年6月よりawai Lagunaの活動へ移行します】 リフレクションジャーナルを綴ることにご関心がある方はawai Lagunaにご参加ください。 https://laguna.awai.space/about

【こちらは2022年6月よりawai Lagunaの活動へ移行します】 リフレクションジャーナルを綴ることにご関心がある方はawai La…

【こちらは2022年6月よりawai Lagunaの活動へ移行します】 リフレクションジャーナルを綴ることにご関心がある方はawai Lagunaにご参加ください。 https://laguna.awai.space/about

【こちらは2022年6月よりawai Lagunaの活動へ移行します】 リフレクションジャーナルを綴ることにご関心がある方はawai La…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?