自分という居場所の安心感は何%?#67

今は夜の22時42分。ここ最近、なんだか疲れがうまく取れない。正確にいうと、疲れを取るための行動をしたがらない。そして、考えてもよくわからない謎の欲求不満感がある。

そんなことを感じていると、「自分は自分という場所に生きているよな」ということがふと浮かんできた。

自分という場所に生きているとは、自分の身体とともに生きているということになるであろう。別の言葉で表すと、自分という意識が自分の身体という器の中で育まれているという認識だ。

改めて自分の身体を感じてみると、どこか脆くなっているような気がするのだ。この器に全部預けてしまうと受け止められずに崩壊すると言わんばかりの不安を覚えている。

それは単に自分に厳しい目を向けているだけなのかもしれない。

「もっと、こうならなければ」というこれまで自分を苦しみ続けてきた声が大きくなっていることを知らせてくれるサインなのかもしれない。

そんな自分に問いたい。

「今、自分にかけている言葉は自分にどういう影響を与えているか?」

あまりポジティブな影響は与えていない。そしてもたらしている事実は停滞だ。いや、進んではいる。少しずつ確実に。

ただ、その進みを妨害するかのような感覚もある。アクセルとブレーキを同時に踏んでいるかのようだ。

そんなことを考えていると、以前読んだ「セルフトークマネジメント入門」を思い出した。自分のためにメモをしておきたい。

自分という居場所を安心感あるものにするための方法

セルフトークの定義は「感情や、思考、行動の引き金として、自分の中に生まれる『言葉』」(p.24)とされている。また、セルフトークが生まれる理由は「アイデンティティを守るため」(p.29)であるとも言われている。

つまり、今の自分が自分を苦しめているとするならば、自分の世界観や存在意義を脅かす何かが起こっていて、その何かから自分を守るために苦しみという感情を生んでいると言えるだろう。

では、自分の世界観や存在意義を脅かす何かとは何だろうか。

少し考えて浮かんでくるのは「ひとりである」ということだ。

人と繋がりたい。人と一緒に生きていきたい。そんなことを願っているものの、それがうまくいっていない。満たされていない。これらは主にパートナーシップに関するものだろう。

この苦しみをただ抱えることもある意味では大事であるとわかりつつも、次のステップへと進みたい自分がいる。

というのも、やりたいことがたくさんあるのだ。作りたい現実がたくさんあるのだ。「この停滞感に付き合ってらんねえ」という声も聞こえる。

ということで「この苦しみを味わいながら進む」ということをやっていきたい。

そこで、ヒントとなるものを先にあげた本よりまとめておく。

そもそもセルフトークには2種類ある。感情によって引き起こされる「反応」としての行動を生み出すセルフトークAと、理性によって引き起こされる「対応」としての行動を生み出すセルフトークBだ。

大まかに言えばセルフトークAを減らし、セルフトークBを増やすことがゴールとなる。そして、そのステップが

「セルフトークを①変える→②使う→③減らす→④なくす」

となる。

長くなったので、このステップの詳細については明日まとめたい。

最初のステップであるセルフトークを「①変える」ためには、まずは認識する必要があるだろう。セルフトークを「⓪知る、見る、聞く」と加えてもいいかもしれない。(本を読み進めていくとちゃんと「認識する」と書かれていた笑)

それは英雄的行為

思えば、今日のこの日記は、上記のステップをたどっていたのかもしれない。感情(反応)を感じ、それに飲み込まれることなく対応を考えていく。

それは間違いなく「変わりたい」と願う自分の勇気が生み出した英雄的行為と言えよう。こうやって自分のちょっとした行動を大袈裟にでもしておくことが自分にとってはちょうどいい。調子乗るくらいがいいのだ。

ほら、最初に感じた自分という器の安心感は書き始めた頃よりも随分上がっているように感じる。

2021.12.9.23:27

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?