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【連載小説】息子君へ 163 (34 君はお母さんから自分らしさを守らなければいけない-3)

 けれど、ひとと話すというのはどういうことなのかを身体で教わっていたという以外には、親から何を教わったとか、親と話していたからそんなふうに考えるようになっていたことがあったりとか、そういうことが何かあったんだろうかと思う。俺が話したいなら話すというだけで、一緒にニュース番組なんかを見ていても、自分の知っていることを教えてあげようとあれこれ話しかけてくるひとたちではなかった。単純に、何を教え込みたいというわけでもなかったのだろう。けれど、ちゃんと見守ってもらっていたし、嫌なことをされなくて、一緒にたくさん楽しい時間を過ごしてくれた。
 親だってそのつもりだったのだろう。俺が育ちたいように育つ邪魔はしなかっただろうというくらいのつもりで、俺が大人になっていくのを見守っていたんじゃないかと思う。
 母親は、元気に育ったし、犯罪者になっているわけじゃないんだから、あとは好きにすればいいと思っていたのだろう。父親にしたって、信念なんてないのが普通だろうとか、それくらいは堂々と言うのかもしれない。母親も、あなたは嘘つきじゃない人間に育ったんだし、なまけものにもならなかったし、私はちゃんと育てたと思っているからとでも言うのかもしれない。
 そう言われたら俺はどう思うんだろうか。幸せに育ててもらったし、そのおかげで比較的素直な人間のままで生きていけることにはなったのだろう。かといって、幸せに育ててもらったというだけで、ただ何をしていてもそれなりに楽しいだけの、あまり中身のない若者になってしまったようにも思う。本当に、俺は自分の人生が実家を出てから始まったような気がしてしまうような、そんなふうに実家時代を過ごしてしまったとも思っている。
 実家を出てからはどうだろうと思うけれど、きっと、親にずっと見守ってもらっていたせいで、何でもとりあえず相手に合わせて、相手の好きにしてもらっているばかりで時間を過ごしすぎたところはあったのだろう。もちろん、相手の好きなようにしてもらうことで、いろんな顔を見せてもらったり、いろんな話をしてもらえて、それが楽しかったりうれしかったりしていたから、それでいいと思ってずっとそうしていたことではあるのだ。そして、そんなふうにできたのは、親にずっと見守ってもらっていて、それが人間同士の自然な距離感だと思っていたからだったのだろう。そして、そういう距離感のひとになっていたことで、最初の彼女のような、自然とはうまくやれないくらい自分と合わないひとと仲良くなっていくことができたのだろう。そういう意味では、ひとが話してくれるときにはちゃんと聞く習慣を付けてくれていたのだし、話せばわかってもらえるとなんとなく思っているようなひととして、他者に出会ったときに何かに気が付くことができる状態に親がしておいてくれたということなのだろう。俺はそれで本当によかったなと思う。だったら、やっぱり俺は親にちゃんと育ててもらったということになるんだろう。
 実際、何かを教えるとか、身に付けさせるとか、そういうことは程々だったとしても、子供が家の中で親の姿を見ていろんなことを自然と学んでいってしまうことについては、親からよくないことを学んでしまわないようにしようと、いろいろ気を付けてくれていたのだろうなと思う。
 かなり気を付けてそうしていたのだろうけれど、両親は俺が大人になるまで、子供の前では他人のことをバカにすることがほとんどなかった。ごくたまに父親が酒を飲みながらテレビを見ていてテレビの中のひとをバカにしていることがあったくらいだろう。自分勝手な振る舞いにひとを付き合わせないようにするだけではなく、自分が気に入らないひとをこき下ろしたり、そのひとが自分を楽しませてくれたら手のひらを返したり、自分がいい気になるために誰かをバカにしたりとか、そういう姿を見せないようにしてくれていたのだろうなと思う。
 そのおかげで、俺は多くの自分のまわりにいた男たちより、他人をバカにして低く見たり、他人を何かの装置のように思っている度合いの少ない人間として大人になれたというのはあるのだろう。そして、大人になった頃にそうでなかったなら、俺はずっとそのままだった可能性が高かっただろうなと思う。
 適当に喋っても話が通じない彼女と別れずに、頑張って喋り続けていたのも、そこが大きかったのかもしれない。そうならなかったのは、彼女ができたら彼女にあれこれ楽しませてもらえるというようなことを期待していなかったから、うまくいかなかったり、思ったほどじゃなかったりしても、ハズレを引いたような気分にはならなかったのが大きかったのだろう。自分がうまくやれていないのをもどかしく思う気持ちの方が大きかったから、だんだん喋れるようになって、関係が変わっていくのを気長に楽しんでいられたのだろう。
 ひとを悪く言わないだけではなく、俺の親は何かを特別持ち上げることもなかった気がする。俺がやりたいことをいろいろやらせてくれたけれど、親の方から何かをやるといいと押し付けられることはなかったし、何をする方が何をするよりもいいとか、何をするのならどういうふうにしないともったいないとか、自分の価値観を俺に刷り込もうとしてくることもなかった。何かをやっているのを横で見ていてくれているときでも、これはどういうことなんだよとか、どうできるといいねとか、それをやっているときにはどういうことを思うべきなのだと誘導してくることがなかった。
 だからだろうけれど、今思えば、俺はあまり親の真似をするようにして物事を見ていない子供だったように思う。俺が興味を持ったことをやっているのを見守ってもらって、話したいことがあったら話を聞いてもらえるというだけだったから、俺にとって親は応えてくれる存在で、教えてくれる存在というわけではなかったのだろう。
 だから、俺はお利口さんという感じのする子供ではなかった。親があれこれ言ってくるのに対して、親の好みとか価値観を踏まえたリアクションをして喜ばせようとしたりするには、俺は親の好みや価値観を知らなさすぎたのだろう。そして、子供の前ではひとをバカにしたようなことを言わないようにしていたことで、親がやっていることをなぞるのはもっと難しくなっていたのだろう。
 けれど、そのおかげなのだと思うけれど、俺は小さい頃からまわりに比べると他人に偏見が少ない方だった。もちろん、少ないだけで、充分いろんなことに偏見まみれだったのだろうし、何かをバカにしたりすることだってたくさんあったのだと思う。けれど、それは誰かと一緒にいて笑わせようとするためにバカにしたことを言う場合がほとんどで、実際にひとと関わるときには、誰に対しても、このひとはどういうひとだということになっているからとか、みんなにバカにされているひとだからとかいうことは思わずに、その場で向かい合っている雰囲気だけで接していることが多かった。
 小学校中学年とか高学年くらいからの記憶しかないけれど、俺はまわりの男の子たちの平均よりは、変わった子とか、真面目っぽい子とか、荒っぽい子とか、どういうタイプの子とまんべんなく話せる方だった。女子にも自分からは近付かないけれど、用があれば普通に話していたし、親戚で集まっていても、神戸の孫で一番歳上というのはあったけれど、孫たちの中で自分の親以外の大人とあれこれ話す量が圧倒的に多かった。何に対しても時間を忘れて没頭したりすることはなかったけれど、スポーツするのも好きだったし、外で遊ぶのも好きだったし、動物も好きだったし、食べたことのないものを食べるのも好きだったし、料理をするのも好きだったし、勉強するのが嫌いだったこともないし、歴史にも科学にも機械にも興味を持てたし、病院に置いてあった少女漫画も読んだら面白かったし、何でも楽しめる子供だった。
 それは単純に、いろいろやらせてもらって、いろいろ見せてもらって、何でもやってみれば楽しいものだと素朴に思ってきたからなのだろう。俺は全く女の子の文化に興味を持っていない子供だったけれど、かといって、男だからどうのこうのという意識も希薄だったように思う。親からも、男なんだからどうしろとか、どうじゃないと格好悪いとかとも言われていなかっただろうし、他の子と比べて自分について何かを言われることも少なかったように思う。自己イメージをあれこれ膨らませる方向に圧力がなくて、自分をあまりどういうタイプのひとだとも思っていなかったから、どういうタイプの子に対しても、自分と別のタイプだからとなんとなく距離をとったりしなかったということだったのかもしれない。
 小学生の頃からずっとそのままだったのだろう。思春期もそのままだったし、社会人になっても、会社の中でどういうタイプのひととも気軽に話せる数少ないひとというのは変わらなかった。とはいえ、テレビもほとんど見ないし、ゴルフもしないし、キャバクラも行かないし、金の話もしないし、ゲームもしないし、アニメも見ないから、男たちの大半とは仕事の話をする以外には、全くと言えるほど会話が盛り上がらなかったりするし、みんなに溶け込んで、みんなとうまくやれているという感じではなかったのかもしれない。けれど、逆に言えば、仲間意識を持って話せるような話題がなくても、その場その場で適当なことを話して、誰とでもそれなりにやれていたということではあるのだろう。別に社会人になってから大多数の男と話が合わないというだけで、友達がいなかったわけでもなかった。俺は大学時代から二十八歳くらいまで、仲のいい友達何人かと一緒に部屋を借りて住んでいたりもしたし、普通の友達という以上に仲のいい友達が何人かいた。
 初めての彼女と付き合う中で、他人と接するときの態度やモチベーションみたいなものは劇的に変わっていったけれど、それ以外のことは、俺はそれほどどこかで価値観が大きく変わったという感覚もなかったりする。カルチャーやエンタメは何をしてもそれなりに楽しめるけれど、それほど何にものめり込むことはなくて、本を読むのはずっと苦手で、誰と接していていてもそれなりに楽しめるけれど、仲間意識で他人とつながるのが苦手ということだと、小学生からずっと変わらないのだろう。
 けれど、そもそも俺が干渉されたり抑圧されたりすることなく、したいことをさせてもらって、それを見守ってもらって、何かあれば俺が満足するまでお喋りしてもらってきたことを考えれば、実家を出て親から離れたり、高校生までの近すぎる友達集団から離れたり、社会人になったからといって、解放感を感じたりもしないし、自分の中で価値観の転向が起こらなかったのは当然だったような気もする。単純に、俺はずっと俺の好きにしてきていたのだ。俺はそう育ててもらった。
 俺は親から俺への接し方を普通の他人への接し方だと思ったままで、人生で何も困らなかった。そのうえで、最初の彼女に一生懸命伝え合えれば、かなり話の通じないひととも話を噛み合わせていくことができると学べたのはラッキーだったけれど、もしもそれがなくても困りはしなかったのだろう。むしろ、その彼女と付き合わなければ、もっと合ってすぐから話が弾むような気の合うひとと付き合って、さっさと家庭をもって、今よりわかったような気になりやすいぶんだけ気楽な人生を送れたのかもしれないくらいなのだろう。そうしたら、俺はもっと自分の両親に近いような人生を送っていたのかもしれない。幸せというのなら、その方が幸せだったのだろう。つくづく、俺の親は俺が幸せになっていけるような道筋を俺の中に作っておいてくれていたんだなと思う。

 俺が君のお父さんになれるのなら、俺は君に何も押し付けずに、君が何かあるときにそれにちゃんと反応してあげるというのをやり続けてあげたいというのは、そういう意味なんだよ。何を教えてあげたいとか、何をしてあげたいということじゃないんだ。俺が君にちゃんと反応してあげるということで、ちゃんと反応してくれるひとがそばにいる人生を君にあげられたらいいのにということなんだ。
 俺は君が何をどうしたいと思うのを待っていてあげるし、君が手助けしてほしそうなときに手助けしてあげられるように見守っていてあげるし、君の気持ちの動きを感じながら、君が何かを言ったりしたりするときの、君の中での気分の高まりみたいなものに俺も気持ちで反応してあげたい。それによって、自分が何をすればいいのかに正解なんてないことを実感させてあげられるのだろうし、俺が何も要求しないことで、本当に自分のしたいことをして、言いたいことを言えば、このひとは一緒に楽しんでくれると信じられるようにしてあげられるのだろう。
 家の外に出れば、大人たちも君の友達も、そうじゃないひとばかりで、君に自分が思う通りに振る舞ってほしいという期待を込めた態度で接してくる。せめて俺は、相手の思っている通りに振る舞えなくても、相手の望みに応えられなくても、何をしたとしても、怒られたり嫌がられたりすることはあっても、絶対に拒否されることがないと心底信じていられる相手になってあげられたらなと思う。そうすれば、他人をそのひとの行動パターンであるかのように思ったりせずに、いつでもお互いに今の感情があるだけなんだから、それを感じ合って、反応し合っているだけでいいのだということをなんとなくわかっている子供に育っていってもらえるんじゃないかと思う。
 俺が君の父親になったとしてやってあげたいことは、俺の親がしていてくれていたこととほとんど同じなのだろう。ちゃんと反応してあげるということにしろ、君の機嫌を取るために何かをしないようにするとか、むやみにほめたりしないこともそうなのだろう。もちろん、俺は俺の父親と違って延々とテレビを見続けないし、携帯電話の画面を見詰め続けたりもしないのだろう。それでも、俺の父親だって、俺と遊んでくれているときや、俺と話しているときは、ちゃんと受け止めてくれて、ちゃんと反応してくれるということをやってくれたし、何も押し付けないでくれたし、傷付けないでくれた。俺もそれをやってあげたいなと思う。
 俺の育てられ方が君のお母さんの育てられ方とは全く逆だというのがよくわかっただろう。俺がどうして君が君のお母さんに育てられることを残念に思っているのかというのも、俺がそんなふうに育ったのだとしたら、納得がいくんじゃないかと思う。
 俺は自分と似た心の形をした親に見守ってもらいながら、できるかぎり好きにさせてもらっていた。俺から寄ってこないなら、できるかぎり放っておいて、かといって、何かあればちゃんと応対してくれた。家の中はみんな相手に何かあれば相手を優先するのが当たり前な感じで、無理に楽しくしようとせずに、いつも力が抜けた感じで普通のことを普通に話していた。
 君のお母さんだって、似た心の形をした親に育てられてはいるのかもしれない。君のお母さんの場合は、ひとの気持ちを感じ取りにくくて衝動性が強いという意味で似た気質だったことで、相手が思ったように反応してくれないことへの敵意が噛み合ってしまったからこそ、傷付け合う関係が続いてしまったのかもしれない。
 君のお母さんは、自分の母親の悪意のあるあれこれの言動や行動に傷付いてぐったりしてしまうのではなく、毎回発狂しながら全力で泣き叫んで徹底的に反発して、嫌な母親に適応しないまま、ずっと戦い続けた子供時代を送ったのだろう。相手の暴力や敵意に誘導されて支配を受け入れさせられて、繰り返される屈従の強要に適応していくというようにはならなかったのだ。ひたすら敵意を持って睨み返し続けながら、隙があれば凶暴な顔で反撃して、頭の中ではいつも相手を出し抜ける状況が来たら何をしようとか、こいつがいないところで何をすればいいんだと考えていたのだろう。そういう考えに集中することで、相手の感情が入り込んでこないようにして、自分を守っていたということでもあったのかもしれない。
 それは一番身近な人間の感情を受け入れない習慣をつけていったということだし、それがどれほど君のお母さんの他人との関わり全般に影響を及ぼしたのかというのは計り知れないのだろう。そして、俺と君のお母さんの育てられ方が真逆だということの中心はそこにあって、そこが真逆だったことで、俺と君のお母さんは、セックスして仲良くなっても埋められない断絶の前に、いつも言葉を失っていたんだ。
 俺が君のお父さんになってあげられたなら、君のお母さんが何を言おうと気長にいろんな語り方をして言いくるめて、君をかわいがりすぎたいお母さんから、君を守ってあげられたのになと思う。守るだけではなく、俺が俺の親からもらったものを君に引き継いであげられたのだし、それで君は何の問題もなく、素直で無防備な子供に育っていけたのだろう。本当に、君のお父さんになってあげられなくてもうしわけないなと思う。




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