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他人にトラウマを残さない死に方
希死念慮に囚われた時、以前なら、横断歩道の手前で車が通り過ぎて行くのを見ながら「ここで飛び出したい」とか、「この建物の上から飛び降りたい」とか、そういうことを考えていた。
しかし今はそういうことを考えた時、自分の未来ではなくて他人の未来を考えて踏みとどまるようになった。
自分自身がトラウマに囚われるようになったからだろう。嫌な記憶を思い出す場所に行こうとすると予期不安で無理。そこに近づけないか
独りじゃないことはわかってるけど
独りじゃないことはわかってるけど消えたくなってしまうことはある。
以前はもっともっと視野が狭くて、自分のことなんて気にかけてくれる人はいない、自分がいなくなっても誰にも迷惑をかけない、だから消えてしまってもいいと思ってた。
今は、わたしのことを気にかけてくれる人がいて、きっと自分が消えたら悲しんでくれるんだろうという人が周りに何人かいる。それはすごく嬉しいし、それを自覚して救われる気持ちになる
「病み期」って周りに言える人ってすごい
はじめにこれは皮肉とかではない。いや、もしかしたら自覚しようとしていないだけで皮肉かもしれない。だけどそんな「つもり」はないことはご了承いただきたい。それから、周りに相談することは大事だ。一人で悩みを抱え込む人が、少しでも減ってくれたら嬉しい。ただ、わたし自身が人に相談するほどの価値のある人間だとも思えないだけで。
去年まで、友だちの言う「病んでる」がどういうものか、どこまで深いのか、どう返せば
大学受験生が病んじゃうとき-浪人が決まった3月編-
わたしは高校3年生の時に大学受験で全落ちし、浪人することになりました。国立後期まで受けました。もう高校の卒業式を終えて、受験も終わって、何も先が見えなくて、高3の冬くらいからは希死念慮に取り憑かれていたのですが、そのピークが3月の終わりに来ました。
浪人してもまた全落ちを繰り返すだけじゃないのか。
現役の時に頑張らなかった自分が、浪人したところで勉強するのだろうか。
ここで音信不通になっても