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差別的発言・行動する者と差別是正だけする者―ホームレス差別発言事件から-



メンタリストとして活動している有名人が、自身のYouTubeチャンネルで「ホームレスに対する差別発言」から炎上、そして謝罪するまでに発展をした。

彼の言動も思想も心の中で留めておけばよかったものの、彼のスタイルなどから止められなかったのかもしれない。彼自身、いろいろなしんどさを乗り越えてきたという。しかし、苦しい過去を背負いながら彼が差別発言をしてしまったことは不思議なことではない。

やはり、しんどさの上に恵まれという毒を塗り重ねてしまうと、冷静にものが見ることができなくなる。自分の周りにも、マイノリティとして苦しい経験をしてきたのに「力」を持った途端に差別側に周る例を見てきた。ほぼほぼ100%そうなっている。

話したい議論がズレてしまったが

今回のホームレスへの差別発言を受けて、多くの人々が問題視・糾弾した。
それに対しておかしいとか思っているわけではなくて、ただ少し疑問が出てくる。

ホームレスの問題は、社会にある色々な差別や無理解が複合的に合わさった問題である。例えば、いじめ・不登校・LGBT・障がい・国籍・職業差別などなど、そういう問題が複雑に絡み合って、心身・社会などにしんどさを抱えて、受け入れてくれる場所や人がいなくなって、生活する資金を稼げなくなったり、適切な選択肢が見えなくなったり、その結果、健康で文化的な生活が送れなくなりホームレスになる。

だから、ホームレスという問題を差別することは、そこに至るまでの様々な差別問題を容認していることにもなる。

けれど、ホームレスに対する差別発言を是正しようと声を上げる活動家・NPO団体・研究者・力のある人々は、その発言だけを問題視して糾弾すれど、その背景に問題を解決しようとはしない。

ホームレスに行き着くまでの派遣に対する差別やいじめ後遺症への無理解、自分の能力を上手く発揮できない人達への冷遇などは、きっとホームレスに対する差別に異を唱える人々たちは見えてない。だから、ホームレスに対する問題は、複合的な現象なはずなのに単一なものになっているのではないかと感じてしまう。

ホームレスへの差別発言は許せないけれど、
そこまでに至る差別問題は目をつぶってしまうのはなぜだろうか。

批判している本人たちでさ、加担している可能性があるわけことにはならないのだろうか。

自分もどうしてもこういうことを言った!許せない!ってなるけど

冷静になると「大きな問題に行き着くまでには、たくさんの問題と助けることができたポイント」があったはずだと理解すると、表面上だけ見て差別する人を表面上だけの言葉で非難する人は、もしかして同じな気がしてまう。

でも、こうした問題を語ると潰されるから自分自身も語れないことが多くなる。

差別・排除する思想や現象を否定し、是正していくけれど、実際に差別・排除されている人々(可能性を持つ人々も含めて)は救わない・支援しないっていうのは疑問が溢れてしまう。

差別発言や行動をする人と差別発言や行動を是正すれど根本的な問題には目を背ける人は同じ穴の狢なのではないだろうか。

なら、どうしてNPOも研究者も力のある人々もホームレスやその可能性のある人々を雇わないのだろうか。ただ正義面だけしていれば満足ということなのだろうか。

正しいことの影に本当の差別を隠していては同じことなのではないだろうか。

資源がないから、能力が足りないから、声を上げないからなどと放置していては差別主義者と変わらない。

是正するのなら自分は加担してないということを証明してからでないとならない。

この問題を扱う全ての人は、自分たちが直接・間接的にでも差別に加担していない・生み出していないことをしてからでないとならないのではないだろうか。

少なくとも自分の周りには語れる人はいない。自分自身も雇えないし、お金も出してあげられないから語る資格はないだろう。でも、資源があるにもかかわらず、正義だけを振りかざす人は許したくない。

だって自分自身も派遣で大変なのに、誰一人として助けてくれない。それは、ホームレスになる可能性がある人を放置していることである。だから、誰もいない。

目の前にいる人を救いもしないのに、興味関心のある人だけを救い、根本的なものは知らんぷりして自分の幸せだけに集中するというのは、もうやめよう。なら、僕のような人を参画して、本当に寄り添ったことを一緒にやってほしい。


夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。