イスラームグラス

オリエント美術の世界 〜イスラームグラス 聖なる香りを閉じ込めたガラス器〜

イスラームグラスとは、7世紀以降に中東世界を支配下においたイスラーム勢力の文化圏で生産されたガラス製品のことを指す。イスラームは宗教上の思想で偶像表現を禁忌した。だが、その結果アラベスク文様などの植物文様を発達させる。また、無地でシンプルではあるものの、機能性を発展させた生活用品を遺した。そんな彼が愛して止まなかったのは、香料から精製される芳香だった。イスラームの人々にとって香りは癒しの役割の他、宗教上でも非常に重要だった。芳香は神から与えられた神聖なるものだったのだ。それゆえ、儀礼の際には様々な香りが焚かれた。今回は中世イスラームで実際に利用されていた香料を収めたガラス器を紹介する。日本ではあまり見かけない独創的な造形に、きっと驚かされるはずだ。


イスラームグラス 波状飾付香水瓶

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10〜11世紀頃に制作されたガラス製の香水瓶。アフガニスタンのマザーリ・シャリーフ近郊で出土したイスラームグラスである。後付けされた波状の飾り付けが美しい。古代人の美的センス、想像力の豊かさを感じられる一品。本作は底部の面積が小さく不安定なため、独立して立たせることができない。おそらく、当時は台座のようなもので支えて利用していたのだろう。それにしても、この捻り文様を貼り付ける技術には舌を巻く。実際に工房でガラスを制作してみるとわかるが、この技は大変難しい。ちなみに、ガラスは前2500年頃にメソポタミアで誕生したと考えられている。ガラスは長らく高級品だったが、1世紀にローマ帝国領のシリア属州で吹きガラスの技術が発明され、安価で大量に生産できるようになった。

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この香水瓶の中にどんな香水が入れられていたのかは判然としない。だが、オリエント地方では様々な香りが楽しまれていた。イスラームでは特に薔薇の香りが好まれた。香料は高価なことから庶民の手にはなかなか行き届かなかったが、香水などのファッションとしての役割だけでなく、場の空気を清め浄化する宗教的アイテムとしての役割も担っていた。


イスラームグラス 長頸薔薇香水瓶

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10~11世紀頃のイランで生産されたガラス製の薔薇香水瓶。イスラームグラスの代表作で、アフガニスタンのマザーリ・シャリーフ近郊で出土した。文様の造形から察するに型を利用してつくられている。長い頸は薔薇の香りが気化しにくく、長持ちさせるために施された造形である。薔薇の香りは古代エジプトのクレオパトラ女王が最も愛した香りでもあり、太古から王侯貴族を中心に人々から親しまれていた。カエサルやアントニウスなどのローマの将軍は、この香りの影響もあって彼女に翻弄されたと考えられている。当時の香料は高級品であり、貴族層あるいは有力商人たちにその利用は限られていた。今でも香料は決して安くはないが、当時は抽出や栽培の技術が発展段階だったため、採取できる量が僅かで法外な値段となった。冗談抜きで、香料が財産のひとつと認識されていた。今では、なかなか信じられない感覚かもしれないが。

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この種のイスラームグラスは、もともとデリケートなつくり且つ経年劣化により、ほとんどの場合割れてしまっている。それゆえ、本作のように完形で残っているものは非常に珍しい。イスラーム地域では偶像崇拝が禁じられていたため、植物文様や幾何学文が発達した。本作でも型押しされた文様がくっきりと見える。実はこの種の薔薇香水瓶は、アラビアンナイト(千夜一夜物語)の『ハサンの物語』の中で登場する。料理人のハサンは香水瓶を取ると、アジブと宦官の手に薔薇水を振りかけたと記されている。当時の香水は単に香りを楽しむものでなく、宗教的な役割も担っていた。香水は場の空気を清め、神を喜ばせるとされた。

以上、2点のイスラームグラスを紹介した。中世イスラームの人々が生み出した独創的な造形美に私は惹かれてやまない。そして、ガラスという脆く壊れやすいものが1000年以上経った現在でも、こうして綺麗に残っていることに感動を覚える。奇跡を感じてしまうような巡り合わせを幸運に思うと同時に、こうした素晴らしい文化の歴史を継承していく必要性を強く感じる。

イスラームグラスについては盗掘が横行し、不明な点が多い。だが、ローマングラスとは成分が異なることが判明している。同じガラス製品でも材料や生産方法は異なっていたようだ。一般的にイスラームグラスはローマングラスと混同して紹介される。ローマグラスという呼称がある種ブランドであり、その方が注目を集め、また販売の面でも有利だからである。だが、私としては年代もつくり手も異なるため、両者を厳密にわけたいと考えている。それゆえ、今回はイスラームグラスという一般ではあまり耳にしない言葉をあえて用いた。

日本ではまだイスラームグラスは珍しく、博物館等の公共機関でもなかなか目にすることができない。だから必然的に興味を持つきっかけが断たれてしまうわけだが、ここで紹介することで関心を少しでも持ってくれたら、とても嬉しい。


Shelk 詩瑠久🦋



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