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アンティークコインの世界 〜最初の一枚〜


アンティークコイン収集の始まりは、初代ローマ皇帝アウグストゥスの肖像を描いたアス銅貨だった。たった一枚のコインで人生が変わった瞬間。あの胸の高鳴り、感動、期待、そしてこれから何かが始まる予感。初恋に似たようなそんな全てを今でも昨日のことのようの覚えている。何事も一期一会。どこで何と出会うか分からない。どこで何が自分を変えるかは分からないのだ。

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初めてこのアス銅貨を見た時、私は五つの考古学的着眼点を持ってアプローチした。当時の私はアンティークコインを美的ないし投資的価値で見る前に考古学的な視点から眺めていた。


1)表面の状態
ひどく摩耗していることから当時かなりの頻度で使用されていたことが窺える。また、2000年近く前のものという経年劣化から黒ずんだ錆を帯びるはずだが、表面は銅本来の赤みを帯びている。すなわち、発見された後に薬品で洗浄されたことが推測できる。加えて、この赤みの強さから当時のローマで発行されたアス貨は、銅の含有率がかなり高く、合金ではなく、純銅に近い材質だったことが窺える。青銅であれば、洗浄して磨いてもこのような赤みは帯びない。

2)カットマーク
この切れ込みの意味が当時の私には分からず、謎の痕跡に映った。後にこれがカットマークと呼ばれるもので、金属の品位を当時の人間が確かめたものと知る。リュディア王国で開発された貨幣は、その誕生とほぼ同時に偽造貨が横行した。当然、ローマ帝国でも偽造貨が人々を悩ませていた。そこで、深くカットし貨幣の品位を確かめることが度々行われた。最も横行していたのがメッキ銀の貨幣で、銀貨と見せかけて実は銅貨という偽造貨が主流だった。銅貨に薄く銀を塗布し、見た目だけ銀貨に見せかけたのである。この偽造防止対策として、ローマではエッジに切れ込みを入れた銀貨が試作された。デナリウス・セラトゥスと便宜上呼称されるこの貨幣は、共和政期のローマで一時的に発行されたが、すぐに製造されなくなってしまう。その理由は定かではないが、手造りで貨幣を発行していた当時、エッジに一枚一枚切れ込みをいくつも入れていく作業は、職人たちにとってかなりの負担になっていたからだと推測されている。

3)ラテン語銘文
摩耗して判読が難解な状態にある。しかし、貨幣とは同じ型で複数枚発行されるものである(ローマ時代の貨幣の型の耐久度は、数百枚程度だったと言われている)。同タイプの状態の良いものを掲載した資料を探せば、そこから文字の判読は十分可能である。だが、厄介なことに貨幣に表記される文字は、省略形が用いられる。貨幣は小さく、刻印可能な面積が限られているからである。当時の人間は省略形の頭文字だけ見れば何を意味しているか分かったのだろうが、そうした前提知識のない現代人にとってこれは複雑な暗号のように映る。庶民たちの手にもわたる貨幣に文字を刻んでいることから、発行当時のローマはそれなりの識字率があったのだろうか。そんなことも推測できる。ちなみに本貨の銘文は以下の通りである。「CAESAR AVGVST PONT MAX TRIBVNIC POT(カエサル・アウグストゥス、最高神祇官、護民官特権保持者)」。アウグストゥスの名前と役職を刻んだシンプルな称号が羅列されている。

4)人物の肖像
ローマコインの肖像は圧倒的に右向きが多い。これは、おそらく彫刻師の利き手が関係している。また、肖像は横顔で描かれる。正面から描いた肖像は帝政後期のキリスト教時代になってからでないと現れない。肖像を横顔にしている理由だが、古代エジプト由来の横顔こそ人間が最も美しく見える理想の角度という美的価値観も関与していると思われるが、流通時の摩耗の耐性向きであることも推測できる。正面肖像は鼻が摩耗しやすく、鼻が欠けた君主の肖像は見栄えが悪いからだ。

5)サイズ
アス銅貨は打刻によるハンドメイドなので、サイズはモノによってまちまちである。だが、25〜27mm前後が一般である。職人の力加減によっては、薄く大きく引き伸ばされたりする。それゆえ、30mm近いアス銅貨もある。このサイズ感に関しては、現在の貨幣とさほど変わらない印象を受けた。もちろん、帝政期に入る以前のアス貨は「アエス・グラーウェ(重たい青銅)」と呼ばれ、気軽に持ち運ぶことが困難なほどのサイズ、重量のものも存在した。だが、数百年の時を経て、実用的なサイズ、重量に改良されていった。


アンティークコインは、小さくても意外に見るべきところがたくさんある。奥が深く、底なしの面白さを秘めているのだ。このアウグストゥスのアス銅貨に出会った後に、アンティークコインが投資用の商材として頻繁に利用されていることなどを知った。だが、それでもこの考古学的視点でアンティークコインを見ない時はない。投資で利用するにしろ、発行された背景を知っていれば、その価値を最大限にまで引き上げることができるのではないか。そんなふうに信じている。


Shelk 詩瑠久 🦋

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