ASIAN KUNG-FU GENERATIONとラブソング
ところでなぜラブソングというのがこの世には沢山あるのか。今の自分なら身近なテーマで共感されやすいからとか、色々な関係性に置き換えやすいからとか、それっぽく説明できそうだ。しかし音楽を聴き始めた小6頃から中二病をこじらせ散らかしていた僕は甘ったるいラブなど知らん、もっと刺激的な表現をくれよ、と恋愛以外のテーマを持つ歌を探して聴き漁っていた。BUMP OF CHICKENは公認ラブソングが少ないという点で大好きだったし、Mr.Childrenは初期ではなく中期以降の自意識強めな曲を多く愛聴していた。
そんな自分にとって、ASIAN KUNG-FU GENERATIONはラブソングのイメージがほぼ皆無という点でずっと昔から今に至るまでフェイバリットバンドであり続けている。しかしここ数年、アジカンはむしろラブソングのバンドなのではないかという思いが強まってきた。この記事はその観点からアジカンのディスコグラフィーを総ざらいして、消してリライトしたり、3分間で40倍になったりするだけではない彼らの魅力を存分に推して語っていきたい。
(↓ 記事の中で触れている楽曲を集めたプレイリストです)
僕と君の世界、繋がりの渇望(1996~2006)
"君を思う僕"という構図を持つ歌をラブソングとみなすならば初期から沢山あった。ただ、描写の中心に居るのは常に"僕"である。「Hold me tight」における君がいなくて此処にたたずむ僕とか、「12」におけるさよなら告げて胸が痛む僕とか。"君"の不在は繊細で傷つきがちな"僕"の胸を掻き毟る。少しは何か行動に移しなさいよと思わなくもないが、行き場の無い感情を叫ぶ姿に多くの若者が惹かれたはずだ。借り物ではない等身大の焦燥感。これがソングライター後藤正文の当時の持ち味であり、閉塞的だったゼロ年代のロックシーンの空気をたっぷりと吸い込みつつ牽引できた要因の一つだろう。
メジャーデビュー直後も自己表現という名の衝動をぶつけたような楽曲が多く投下される。そんなタームにおいて「君という花」は重要曲である。四つ打ちのキックにオリエンタルなリフ、サウンド面でも後世への影響は甚大だが、アジカンにおいては歌詞の面が革新的なのだ。感傷に浸って自己陶酔する様を<見え透いたフォームの絶望>と言い放ち、<白い息が切れるまで飛ばして駆け抜けたあの道>と能動的なアクションを描き、<君という花 また咲かすよ>という温かなフィーリングで完結している。<痛みだけなら 2等分さ>なんて、初期には見られなかった優しく"君を思う僕"の言葉だ。バンドが支持を集め始めたことで、自分以外の誰かの存在を意識し始めたのだろう。
そんな2003年は自己の存在を証明すべく他者/世界との繋がりを求める楽曲が多い。1stアルバムのタイトルが"君と繋がっていられる限界は5メートル"という具体的かつ独特な意志に貫かれた『君繋ファイブエム』なわけだから、この頃の彼らのコミュニケーションへの希求は明白だろう。最後を飾る「ノーネーム」では、<消えない愛を頂戴 無限、無限 君と僕の響く青を>と、「愛」というワードが初めて顔を出す。<名前をくれよ>と叫んだ翌年、アジカンは全国的な人気を獲得、2ndアルバム『ソルファ』でビッグヒットを飛ばす。繋がりのモチーフを拡大させつつ、“縁”というワードが「マイワールド」や「ループ&ループ」で用いられ、よりオープンな作品になった。
オーディエンスの増加と立ち位置の変化は緊張と責任、漠然とした疑心をバンドにもたらす。そして2006年春の3rdアルバム『ファンクラブ』では流れを反転させ、「喪失」「終焉」がテーマのヘヴィな内容に。耐久性のある表現、真に心に迫る音楽を届けたいという想いが丁寧なアンサンブルとシリアスなメロディで紡がれている。本作ではラブソングなど歌っておられず、恋愛感情では誤魔化しきれない心もとなさに囚われていたはずだ。「ワールドアパート」の<即席の歌で舞い踊る 実態のない未来と愛の輪>という辛辣なフレーズには繋がることへの諦念が噴出している。ただ、繋がれなさを描くことが逆説的に繋がりたいという渇望を色濃く浮かび上がらせてもいた。
変わる世界への視点、来たる時代の節目(2006~2010)
2008年の4hアルバム『ワールド ワールド ワールド』から、社会に目を向けた楽曲が増え始める。得意としてきた内省的な描写の延長上で今ここにある世界の姿を捉える詩作のトライアルはここに端を発した。暗闇の中で皮肉や痛みを抱えながら眩い夜明けのイメージに辿り着くこのコンセプトアルバム。その起点である2006年秋の「或る街の群青」で<巡り合い 触れる君のすべてが僕の愛の魔法>というラインがさらりと登場した。強靭な友情を描いた映画「鉄コン筋クリート」の主題歌ということもあり久々に用いられた<愛>という言葉だが、アルバムのクライマックス寸前で鳴り響くことでストーリーが高く跳躍する。「新しい世界」にありったけの愛が注がれたのだ。
作り込まれた『ワールド~』に比べて、同年にリリースされた5thアルバム『サーフ ブンガク カマクラ』は、肩の力の抜けた一発録音のパワーポップ楽曲集。江ノ島電鉄の駅名を題に冠した楽曲たちの中で瑞々しい青春劇が繰り広げられていく。躍動的な情景は少し気恥ずかしさを覚える程に若々しい。そしてそこには恋の力が息づく。涙に暮れる君の明日を願う「腰越クライベイビー」、高鳴る鼓動を隠し切れない「長谷サンズ」、慈愛で包み込む終曲「鎌倉グッドバイ」に至るまで、リリカルな恋の歌が顔を揃えている。
そして今から10年前。つまり2000年代の終わりに大きな節目の1曲がリリースされる。「新世紀のラブソング」と名付けられたこのシングルはラップとポエトリーリーディングを横断する歌唱にヒップホップ的なトラックメイクなど初物尽くしの楽曲であるが、歌詞においてもストレートな表現で新時代の到来を願う新機軸のものであった。特定の人物へ向けての愛ではなく、同時代を生きる全ての人々、および来たるべき2010年代への愛を綴った紛れもないラブソング。<あなたすべてを僕は知らない それでも僕らは愛と呼んで 不確かな想いを愛と呼んだ>というリリックから溢れ出そうな祈りにも似た愛の確かめ合い。アジカンの変革と共に時代が変わる予感も薫ってくる。
訪れた2010年、6thアルバム『マジックディスク』にはより踏み込んだ愛の歌が登場した。「ラストダンスは悲しみを乗せて」の別れを告げた君への思慕というのは初期の楽曲にも通ずるが、踊るエネルギーと鮮烈な<アイ・ラブ・ユー>が搭載されたことで、寂しさを吹っ飛ばすパワーを放つものに。ストリングスとピアノに彩られた「架空生物のブルース」は直接的な性愛の歌。官能的な質感の中に、どれほど愛し合っても一つになれないことへの根源的な悲しみとやり場なき虚しさが宿り、そこに繋がりへの一縷の希望が見え隠れする。どちらもラブソングに重なった多層的な意味が透ける佳曲だ。
より巨大な愛のイメージへ(2011~)
2011年の東日本大震災、多くの表現者たちが言葉と向き合った。後藤正文もまた自身の筆致を研ぎ澄ませ、今書くべき歌詞を模索した。「ひかり」のような、事象と心象をありのままに記したような楽曲が生まれたのも必然だろう。そして、ラブソングをも内包する巨大な愛の姿を描くに至る。その筆頭こそ「踵で愛を打ち鳴らせ」だ。苛烈な風刺や根深い疑念が込められた2012年の7thアルバム『ランドマーク』はこの曲が終盤を飾ることで、なけなしの光が零れ落ちてくる作品に仕上がった。心を解放し、行動に移す。内省に逃げず、社会/世界に愛を持って接続するアジカンの姿は現在まで続いている。
『ランドマーク』ツアーで新曲として最後に披露され、2013年にリリースされた近年の代表曲「今を生きて」も重要な1曲。主題歌となった映画「横道世之介」と同様に青春の遠景を描きつつ、ナチュラルに世界に触れる場面とリンクする。絶望と悲哀に包まれた世界でも人と人が出会う奇跡は生まれ、その連続・連鎖が人生なのだと高らかに歌い上げる。これもまた1つの巨大なラブソング。過去を振り返る曲であるが、初期のように胸を刺す感傷として描くのではなく、柔らかく大切な記憶として刻んである。メジャーデビューから10年、ポジティブなモチーフとして青春を引き寄せた節目であった。
ラウドな音像を追求した2015年の8thアルバム『Wonder Future』は、架空の都市を舞台とした群像劇であり、どの楽曲も観察者としての視点が光る。生き辛さを抱える人々やはみ出し者に対しての愛のある眼差し、当事者であると同時に後進の変革者たちの背中を押す目線には風格と歴史を感じる。その後、2016年には2ndアルバム『ソルファ』を12年ぶりに再録。2004年盤は切実な"繋がること"への想いが漲った1枚であったが、成熟したアジカンが鳴らすことで、どこか愛慕の念に満ちた作品に聴こえてくる。活動を重ね、そのスタイルや在り方そのものに愛が滲み出ているのが近年のアジカンなのだ。
2018年のベストアルバム『BEST HIT AKG 2』に収録されたロックバラード「生者のマーチ」は、アジカンのラブソングとして一つの到達点だ。死を想うシーンに寄り添った、傍にいるかけがえない人に対する気持ち。循環していく命と愛が、<そこにただ在るだけで そのまま ぎゅっと引き寄せて わけもなく抱きしめて こと切れるまで>というサビへと集約される美しい1曲である。ただひたすらに嘆き立ち尽くしていた頃とは異なり、自身の愛情を"抱きしめる"というこれ以上ない心と体の動きに託した直情的で原始的なラブソング。それを衒いなく演奏し届ける、自然体のアジカンが完成したのだ。
このようにアジカンが描く愛の形はバンドの成長や時代の移ろいと共に変貌してきた。現時点で最新となる9thアルバム『ホームタウン』でも、冷え切ったSNS社会に惑わされず本当に大事にすべき愛の存在を歌いかける「UCLA」や、少年兵と少女の邂逅を劇的に映す「さようならソルジャー」など、様々な形の愛が描かれた。中でも「ボーイズ&ガールズ」は、全世代/全人類へ向けてそっと背中を押すような、途方もないスケールを持った愛の歌である。
アジカンが歌うラブソングにはリスナーが心境を重ねてグッとくるものもあれば、思い出をほじくり返して悶えさせるようなものもあり、かなり多様である。そんな中でも我々に向けて歌われているかのようなラブソングにはいつも勝手に勇気づけられている。心が彷徨う孤独な夜でも、アジカンの音楽が鳴ればそこに居場所が生まれる。愛に満ちた目線で生きる日々を見つめてくれる。この世にラブソングが多い理由は未だにやっぱり判然とはしないけれど、アジカンのラブソングは僕らを赦し、解放するために存在している。
(↓ ASIAN KUNG-FU GENERATIONのLINE MUSIC アーティストページです)
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