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dieありき、だからドLIVEする〜Base Ball Bear『DIARY KEY』

誰かの死を感動の引き金とする物語は数多くある。僕もそんな作りを持った作品で好きなモノは多いと思う。死をどう受け止めるか。その描き方次第で作品の持つ意味は深まり、胸に残る忘れがたい作品になるものなのだ。

ただ世界がコロナ禍に突入してからというものの粗雑な作りの"死ありき"な物語を受け取る度に徐々に嫌気が差してきた。毎日のように死者数が報じられ感覚も麻痺しかけるのだが、数値化されたその1つ1つの死には紛れもなく1人1人の人間の存在があるという現実。その重みを考えてしまうと、死を物語として描くことなど到底許されないことなのでは?という思いもよぎる。


Base Ball Bearが10/27にリリースした9thアルバム『DIARY KEY』は2020年、2021年にかけて、コロナ禍へと突入した時流の中で、この世界について切り取ったアルバムだ。全11曲、様々な角度や表現でこの時代を映し出す。題材や扱うモチーフの幅広さと連動するかのようにサウンドのバリエーションも豊富である。アルバムを出すごとに"ギターロック"を実験し尽くしたかに思えるようなベボベだが本作では3ピースバンドのシンプルさを保ったまま、ギターの音色やリズムパターンを駆使し聴き飽きない1枚として仕上がった。

聴感はユニークで楽しいものだが、歌っている内容に目を向けると異なった質感を覚えていく。歌詞を読めば読むほどに浮かび上がってくるのは怒りや皮肉の感情だ。顕著なのは「悪い夏」だろう。これまでベボベのイメージとして根づいてきた夏という題材を歪んだ音像で押し通す異色な1曲だ。<忘れちゃうだろ 火を見てれば 何を燃やしてたのかなんて>というラインから察するに、炎上を起こす快楽や誰かを追い詰める悦びを夏の高揚感になぞらえて書いたのだろう。従来と意味合いを反転させるかのような夏の扱い方だ。

「プールサイダー」のリリースコメントにもあった"低空飛行な毎日"における心象がありありと示されているアルバムだ。同じ世界を体験し続けているからこそ、聴き手側の生活も克明に記されていると思える。返信に変心を疑い、偏心して変身しそうになって疲弊した心模様を歌う「Henshin」などは特にどうしようもなかったあの日々の"会いたさ"を思い出す。<抱きしめたい>という言葉は、かつて「抱きしめたい」で綴られたリビドーとはまた違う、確かめ合うための抱擁というニュアンスが滲んでくる。切実なのだ。


この作品を貫く大きなテーマがもう1つ。いや“貫く”という言い方は正しくないかもしれない。そのテーマが通奏し続けている、と言うべきだろうか。1~11曲目まで、常に"死"への眼差しが散りばめてあるのだ。元気に、快活に、晴れやかに振る舞う日々の中でも否応なしに死を意識することになったコロナ禍。そこで生まれる楽曲に死を想う言葉があるのは自然なことだ。唯一、関根史織(Ba/Cho)がボーカルを務めた「A HAPPY NEW NEW YEAR」は新年を祝福する温かなフィーリングとともに違う表情も見せている。

A HAPPY NEW YEAR!ふたりに
幸せたくさんありますように
生きてくれてありがとう
幸せが降り注ぎますように
願ってる いまもいつものように
いつでも いつでも
   Base Ball Bear「A HAPPY NEW YEAR」より

このサビに刻まれた願いは大切な人へ向けられた普遍的なもの。しかし<いまもいつものように>という言葉で結ばれることで、この曲が一体誰から贈られたものなのか、という点に意識が向く。今はもう逢えなくなった誰かが天から見守ってくれている、という捉え方もできるのではないだろうか。かつてあった愛おしい日々の情景と併せて聴くとより胸に迫る曲として響く。


表題曲「DIARY KEY」もそうだろう。今も昔もベボベを象徴するCの要素(SEA、SHE、SEE、etc...)と地続きにある"詩”について描いた曲で、一聴するとソングライティングについて歌っているように聴こえる。しかし終盤に繰り返される<きっと最後は>と<きっと最後に>という言葉は不穏であり、鍵のかかった日記を意味する題の中に"dieありき"という言葉遊びを見つけてしまう。ただやはり決してシリアスに終わるだけの曲ではない。<なんてジョークさ>、<to alive by your side>と、死を振り払うように歌う。これもまたコロナ禍を生きる僕らが行ってきたことだ。「死にてえ」と呟くことで楽になる心もあれば、楽しみを見つけ生きようと思えたりもする。人によって差はあれど、生と死の揺らぎが頻繁になった世界全体の心の動きのよう。


ラスト4曲の流れは、このアルバムを"生"の方角へと向け始める。物憂げだが柔らかな心地良さが広がる「_touch」は、"触れる"というモーションを介して思い出を振り返るような描写がなされる。書き間違いを笑い転げた夏の夜、喜びをわかちあった<いつかのハイタッチ>と、自分が向かえる行く末を<いつか誰かにバトンタッチ>と対比する大きな時間軸が中心にある1曲。

全編に渡りラップが展開される「生活PRISM feat.valknee」から"今"へとフォーカスされていく。暮らしのワンシーンを次々にジャンプしていく目まぐるしい楽曲だ。「へヴンズドアー・ガールズ」を思わせる<heaven>と<ドアー>が現れ、楽園としてのヘブン、死を意味するヘブン。その両方を見事に捉えたリリックの技巧も素晴らしいが、様々な人々がひしめき合う生活を<グロテスク しかし愛おしい>と独特ながら肯定するようになった小出祐介の変化に胸を打たれた。自分の目に見えない世界にも届いていく詩なのだ。


「海へ」は最重要曲であるように思う。「海になりたい」シリーズなど過去曲でも頻出の海というワードだが、シチュエーションとして登場するのは珍しいように思う。クリシェ的だが、生命の根源であり、命を奪う場所でもある海。そんな場所で描かれるのは喪失の受容である。否認し、怒り、乞い抗い、深く沈んだ先に待つ受容。<亡くしたものにもどっかでまた会えるのさ>という境地へ辿り着くまでにどれほどの時間が必要だったのだろうか。

思い出は日常に解けて いつのまにか物語に代わっていってしまう
胸の奥にある日記にカギをかける これだけはどうか変えないで
                                                           Base Ball Bear「海へ」より


ベボベはこれまで感情や実体験を架空の物語に載せて描くスタイルが多かった。しかしここでは剥き出しの独白をありのままを吐き出すことを選び、決して変えないように大切に守ろうとしている。年月を経て解釈や感じ方が変わる。それも音楽の面白さだが、その瞬間のリアルな手触りを永久に閉じ込められるのも音楽を録音するという営みの意義だろう。『DIARY KEY』というアルバムタイトルの意味が真に迫っていくのはこの10曲目あってこそだ。


そして「ドライブ」でアルバムは締められる。この曲がリリースされた当時書いたnoteでも書いていたが、ここまでの10曲を踏まえてやはりこの曲の題は「どライブ」「ドLIVE」「弩live」を意味している、という解釈を沸き立たせざるを得ない。突然何を、と思うかもしれないが、このミドルバラードを聴いて漲ってくる、めちゃくちゃ生きてやるぞ、息して、生きて、活きてやるぞというエネルギーを考えればあながち変なことは言ってはいないはず。

やはり人生が死ありきで進むことは逆らいようがない運命だ。だがしかし、いやだからこそ、何としてでも生きていきたいと思えるはずだ。かつてなく深刻で、かつてない肯定力に満ちたこのアルバム。何度でも再生していく。

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