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We're all strangers when we first meet, but who knows what kind of music we might make together?
2023-2024 年跨ぎに寄せて。
【今年読んだ本】『人間がいなくなった後の自然』カル・フリン
廃棄物による毒化、放射能汚染、戦争、自然災害、砂漠化、経済崩壊…人間が見捨てた場所を筆者は巡り、そこで「人間がいなくなった場所では、自然が回復、新生する」ことを目の当たりにする。
人間がいないからこそ、自然はその回復力によって、逞しく奇妙で有用性の高い生命を生み出し、植物や動物が力強く再生し、新たな
学校祭の生徒ステージに出てくださいと頼まれた話。
「せんせー、うちらのステージ発表に出てくれますよね。」
「出ないよ。」
「審査基準にクラスの団結とか、一体感とか、あるんです。」
「それ、関係ある? 担任が出る出ないが審査に影響するっておかしくない?」
そのうち彼らは何も言わなくなった。
もちろん担任がクラスの生徒と一緒に参加して発表することに反対はしない。審査員は学年・分掌主任と管理職だし、感動的なシーンとして高く評価されてきたのかもしれな
明日卒業式で、明後日入試なのに、することが何もないので、帰った。
やっとわかった。
いや、やっぱりそうだったんだと確信した。
承認欲求過多の痛い人として遠ざけられてるのはわかってるのだけど、きっとそもそも最初から、「ワタシ」である必要がなかった、求められていたわけではなかったんだなってこと。
なんか上手い例えが見つからない(髀肉の嘆とも違う)けど、
いきなり「ここなんとかできません?」とか「これってどうやるのですかね?」。
うーんどうしたらいいんだろ。てか、それ
教育課程研究指定校事業(国語)研究協議会でしこたま怒られた話。
業界関係以外の皆様からはなんのこっちゃですが、うちの学校は国立教育研究所というところから「研究して、よその学校が、おおーうちの学校でもそうしよう」という成果を発表しなさいという指定をいただいたいているのです。研究テーマが「話すこと・聞くこと」なのですが、このコロナ禍でどーすんだよ、なにもできないじゃないかといっているうちに、東京から視学官さまというかたが来られるということで、いそいそと準備して、お
もっとみる「いじめ」であまり語られないだろうこと。
先行研究とか公式の定義とかすっ飛ばしていうと、いじめの構造では、少数の被害者がいたとして、加害者、支持者、傍観者含めて、被害者より圧倒的に多数派を形成するのが常である。「無関係者」はどうか。いじめを認知してようがいまいが、被害者にとってのたすけや救いにならない時点で組織や集団での多数者側だ。
いじめ事件が起こる。被害者について多くの人が同情を寄せ、責任が追及され、識者のコメントが報道される。