senseioshigoto(高校教員)

所属や属性で自分を語ることにちょっと飽きてきた。いつか実現したいことを考えてみた。「流…

senseioshigoto(高校教員)

所属や属性で自分を語ることにちょっと飽きてきた。いつか実現したいことを考えてみた。「流鏑馬。ラジオでパーソナリティー。持ち時間ゼロの司書教諭。ボードゲームカフェ。定期考査と宿題とチャイムのない学校。」これじゃあんまりときめかないなあ。ロマンスとファンタジーが足りないな。

最近の記事

We're all strangers when we first meet, but who knows what kind of music we might make together?

2023-2024 年跨ぎに寄せて。 【今年読んだ本】『人間がいなくなった後の自然』カル・フリン 廃棄物による毒化、放射能汚染、戦争、自然災害、砂漠化、経済崩壊…人間が見捨てた場所を筆者は巡り、そこで「人間がいなくなった場所では、自然が回復、新生する」ことを目の当たりにする。 人間がいないからこそ、自然はその回復力によって、逞しく奇妙で有用性の高い生命を生み出し、植物や動物が力強く再生し、新たな生態系が新生していた。 人間による作為や破壊を超越した自然の復活、蘇生の姿には、

    • The Haves & Have Nots

      学校のリソース不足の問題はほんと深刻。 それは「ヒト・モノ・カネ」。「モノ」は、そのまま資材や資料でもあるし、「モノごとを進める工夫やデザイン」とも言っていい。 このリソースがないのに、なんとかしようとすると、属人的マンパワー(残業・自腹)でなんとかするしかない。個人がボロボロになるまで頑張ることになる。 ひょっとしたら、できる人、やれる人がいて、なんとかできちゃうこともあるかもしれない。でもそれは「持ってた」から。努力と苦労の賜物だったのかもしれないが、何らかの恵みや

      • 学校祭の生徒ステージに出てくださいと頼まれた話。

        「せんせー、うちらのステージ発表に出てくれますよね。」 「出ないよ。」 「審査基準にクラスの団結とか、一体感とか、あるんです。」 「それ、関係ある? 担任が出る出ないが審査に影響するっておかしくない?」 そのうち彼らは何も言わなくなった。  もちろん担任がクラスの生徒と一緒に参加して発表することに反対はしない。審査員は学年・分掌主任と管理職だし、感動的なシーンとして高く評価されてきたのかもしれない。生徒たちはそうした上級生たちの姿を見てきたのだろう。  君たちは、審査の〇

        • 明日卒業式で、明後日入試なのに、することが何もないので、帰った。

          やっとわかった。 いや、やっぱりそうだったんだと確信した。 承認欲求過多の痛い人として遠ざけられてるのはわかってるのだけど、きっとそもそも最初から、「ワタシ」である必要がなかった、求められていたわけではなかったんだなってこと。 なんか上手い例えが見つからない(髀肉の嘆とも違う)けど、 いきなり「ここなんとかできません?」とか「これってどうやるのですかね?」。 うーんどうしたらいいんだろ。てか、それワタシがやること? やり方も知らないし、道具もないし、頼る人もいないし。仕方ない

        We're all strangers when we first meet, but who knows what kind of music we might make together?

          総合型の面接練習始まっていて、そこで総合型のなんたるかをわかってない面接官を壁打ち相手に生徒は伸びていくという話。

          職員室で、「〇〇の面接練習したんだけどさー、ぜんぜんなってないんだよねー、国公立志望だなんて舐めてるわ」 そりゃはなから完成してるヤツなんていないし、だから練習するのだからそりゃそうですわ。で、聞いてないふうで聞いていたら、 それでさ、志望理由書がさ、〇〇に取材に行ってこんな話聞いてきたとか、△△のイベントに行ってこういう話し合いに参加してきたとか、× ×のボランティアに行ってこういうこと考えたとか、そんな「学校外」でのこといくら書いたって、大学でどんなことを学びたいかを書か

          総合型の面接練習始まっていて、そこで総合型のなんたるかをわかってない面接官を壁打ち相手に生徒は伸びていくという話。

          短歌はむつかしい。

          ちょっと短歌をひねってみる。やっぱり難しい。どうしても説明過多というか。 インスタで知った吉田知那美の結婚に 「さん」をつけるか 迷っている朝 日本でいちばん熱いという銭湯にいる こりゃ風呂じゃないよ じゃあなんなんだ 脳内ヘビロテ いいとこみせたいそのわりに 悪いとこだけよく目立つ 人形焼を買ってきたあなたのチョイスの感動を話せる人のいない日の午後 メッセンジャーのオンラインマークがふと消えて あなたも一人 ワタシも一人 花火の音にも無関心を装う みんな見ている

          短歌はむつかしい。

          一時感情過多、でも自意識過剰じゃないからね。たぶん。いや、そうかも。

          こども学びラボ(@kodomomanabilab)の記事から、書こうと思ったこと。 こども(に限らずだけど)の相手をしていると、いらいらしたり、怒っちゃったりする人って少なくないと思う。それを「一次感情」と「二次感情」から説明してくれている記事。 ワタシは生徒には素直に一次感情を伝えられる。 「あっ、今のそれカチーンってきた」「それ言ってくれて救われるなー」「その態度からはキミのこういうメッセージを受け取っちゃうんだけど」「これ、誰得なんだろうね」「どうすればお互いハッピ

          一時感情過多、でも自意識過剰じゃないからね。たぶん。いや、そうかも。

          教育課程研究指定校事業(国語)研究協議会でしこたま怒られた話。

          業界関係以外の皆様からはなんのこっちゃですが、うちの学校は国立教育研究所というところから「研究して、よその学校が、おおーうちの学校でもそうしよう」という成果を発表しなさいという指定をいただいたいているのです。研究テーマが「話すこと・聞くこと」なのですが、このコロナ禍でどーすんだよ、なにもできないじゃないかといっているうちに、東京から視学官さまというかたが来られるということで、いそいそと準備して、お迎えして、ご指導を頂戴したわけです。その時の話ですが、エピソードモードじゃないの

          教育課程研究指定校事業(国語)研究協議会でしこたま怒られた話。

          ちゃんとする。

           「ちゃんとする」って言葉って、実はあんまり意味のない言葉ですよね。「ちゃんと勉強する。」よーし勉強するぞー。30分勉強した。でも言われる。「ちゃんと勉強してないじゃないか」。えー、ちゃんとしたと思ったのになー。  結局、この言葉は判断を相手の価値に任せてしまう。相手を怒らせないように、満足してもらえるように、顔色を読み、空気を読み、自分で自分を「ちゃんとしなくちゃ!」って追い込んでしまう。  例えば「ちゃんとした仕事につかないと」の後には必ず「苦労するぞ」「家族も持てないぞ

          「いじめ」であまり語られないだろうこと。

           先行研究とか公式の定義とかすっ飛ばしていうと、いじめの構造では、少数の被害者がいたとして、加害者、支持者、傍観者含めて、被害者より圧倒的に多数派を形成するのが常である。「無関係者」はどうか。いじめを認知してようがいまいが、被害者にとってのたすけや救いにならない時点で組織や集団での多数者側だ。  いじめ事件が起こる。被害者について多くの人が同情を寄せ、責任が追及され、識者のコメントが報道される。ネット上のタイムラインには、加害者を罰せよとか、隔離しろとか、追放しろとか、たく

          「いじめ」であまり語られないだろうこと。