学校祭の生徒ステージに出てくださいと頼まれた話。

「せんせー、うちらのステージ発表に出てくれますよね。」
「出ないよ。」
「審査基準にクラスの団結とか、一体感とか、あるんです。」
「それ、関係ある? 担任が出る出ないが審査に影響するっておかしくない?」
そのうち彼らは何も言わなくなった。

 もちろん担任がクラスの生徒と一緒に参加して発表することに反対はしない。審査員は学年・分掌主任と管理職だし、感動的なシーンとして高く評価されてきたのかもしれない。生徒たちはそうした上級生たちの姿を見てきたのだろう。

 君たちは、審査の〇〇先生に気に入られるために発表するわけじゃないだろ。自分たちがやれるだけの全力を尽くして、後悔しない、最高のステージだったと胸を張るためにやってるんだろ。だいたい発表順が1番目だから不利だったとしても、自分たちのパフォーマンスをみがき、レベルを上げ、完成度を高めることにエネルギーを注いで、実力で圧倒して勝てばいいじゃないか。そこに担任ごときが、にぎやかしで、のこのこステージに上がり、盆踊りみたいなダンスしたりするのはどうよ、と誰かに言ったかもしれないし、それは私の夢の中でのことだったかもしれない。

 「理想のSHRは担任の来ないSHR」と彼らには言っている。連絡事項が伝わって、提出物が集められて、今日一日の予定と優先順位の見通しがクラスで共有できればそれでいい。クラス担任が来るのはイレギュラーな事柄があるときだけ。いや、連絡事項なんてLINEで配信して行きのバスの中で見ればいい。そうすれば朝の時間をゆったりとすごせるじゃないか。まあ、そうはいかないのが現実なのだが。

 彼らのステージは、ひいき目を差し引いてもいいステージだった。女子生徒のキュートでポップなダンスも、男子生徒の無骨で不器用そうでいて情熱的な表現も、曲と照明と演技のシンクロも見事で、ストーリーを際立たせていた。何度も観客から感嘆の声が上がった。クラスのどのメンバーも役割を果たしていた。私はそれを空っぽの彼らの座席から見ていた。

 審査結果はその日のうちに発表される。学校祭最終日の再演技のできる上位3クラスに、彼らは選ばれなかった。何人もの生徒が涙を流していた。でも審査や発表順や担任のことを言う生徒はたぶんいなかったと思う。私は何も言わず東光ストアで買ってきた飲み物を彼らに配り、「乾杯しよう」。主役の男子生徒が「再演取れなかったのは残念だけど、みんな最高のステージでした。乾杯!」
 その夜、飲めない酒を飲んだ。すぐ具合悪くなった。

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