ちゃんとする。

 「ちゃんとする」って言葉って、実はあんまり意味のない言葉ですよね。「ちゃんと勉強する。」よーし勉強するぞー。30分勉強した。でも言われる。「ちゃんと勉強してないじゃないか」。えー、ちゃんとしたと思ったのになー。
 結局、この言葉は判断を相手の価値に任せてしまう。相手を怒らせないように、満足してもらえるように、顔色を読み、空気を読み、自分で自分を「ちゃんとしなくちゃ!」って追い込んでしまう。
 例えば「ちゃんとした仕事につかないと」の後には必ず「苦労するぞ」「家族も持てないぞ」「恥ずかしいぞ」そんなネガティブな言葉がつづくことになる。行動のエンジンがマイナスのエネルギーで動くのだから、楽しくないし、ワクワクしないし、ごきげんになんかなれないし。
 ちゃんとやる人は、多分まじめなんだろうし、正しい人なんだと思う。でも、正しくてまじめなことってそんなに大事なことなんだろうか。ちゃんとした人が大切にする価値観なんて、時と場所と場合が変われば変わってしまうものだと思う。「ちゃんと中学生らしく」それが白い靴下履くことなのか、黒い靴下履くことなのか、どうでもいいことだし、「ちゃんとお国のために」奉仕する「ちゃんとした小国民」の成れの果ての「ちゃんとした帝国軍人」がいったい何をしたのか、みんな知っているはずじゃないか。
 「ちゃんとする」をいったん考える。なぜ? 何のために? 疑い、検証する。そして他人のためじゃなく、自分のために「ちゃんとする」。ちゃんと大笑いする。ちゃんとふざける。ちゃんと休息する。ちゃんと遊ぶ。
 何かをしようとする時に、自分のためにしたいのか、それとも他者の期待に応えたいからするのか、そこんところをよーく考えるようにすれば、もうちょっとバランスよく、気持ちよく生きていけるんじゃないかなと思っているワタシ50歳。

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