マガジンのカバー画像

「世界漂浪の記」 羽生隆 101選

101
50年遅れの同じ日付で毎日投稿されていた羽生隆さんの旅行記「世界世界漂浪の記」の中から、何度も読み返したい特に印象深い投稿を集めました。
運営しているクリエイター

2024年3月の記事一覧

❨917❩1974.3.3.日.晴/この貧しい生活の中にも、子供達の姿は、活々していた/カトマンズ:ネパール

❨917❩1974.3.3.日.晴/この貧しい生活の中にも、子供達の姿は、活々していた/カトマンズ:ネパール

徒々なる一日。

物を金に替えたり、ブラブラ町を歩いたり。

考えてみれば、あの、町を歩いている牛の様ではないか。

この貧しい生活の中にも
子供達の姿は、活々していた。

美食もなく、着飾られる事もなく、
ブランコも運動場も無くても
「自由」と「素朴」な心がスクスク育っていた。

でもやがて、この子達にも、
文明という波が押し寄せて来る。

❨922❩1974.3.8.金.晴/<想>もう旅は終わるのだ/バンコク:タイ

❨922❩1974.3.8.金.晴/<想>もう旅は終わるのだ/バンコク:タイ

昨夜は周囲が騒がしく、2時近くまで眠れなかった。
夜の町を歩くと、レストランでいい匂いがしていた。

けさは7時に起き、日本大使館へ行く。
郊外の立派な建物だった。一通の手紙が来ていた。

遂に、文無し。一銭も無くなった。
ハテ、どうするか?

夕方、サッカー場で40分程、補強する。

<想>

土地が変る、人間も、気候も、次々と変わる。
そのめまぐるしい変化の中で、俺の頭は少しーーだけだろうか?

もっとみる
❨930❩1974.3.16.土.晴/最後の、外国の夜なのだ。/バンコク:タイ

❨930❩1974.3.16.土.晴/最後の、外国の夜なのだ。/バンコク:タイ

朝は、ごく軽い体操で止めた。腹が減る。
朝食 バナナ3本と牛乳1本・お茶一杯。

あと2缶、土産のお茶を買った。
荷を整理したところ、ちょうどバッグ一杯になった。半分以上が土産である。

夕方、レストランでビール一杯を飲み、ホテルを出た。
夜八時に、飛行場行きのバスに乗る。

時間があったので、荷を置いたままチョット外へ出た。

帰ってみると、バスがいないのに驚いた。
あわてた・・・・・

後のバ

もっとみる
❨931❩1974.3.17.日.晴/遂に日本の地を踏む。この旅を活かす生活が始まる。/Bangkok→Hongkong → Tokyo

❨931❩1974.3.17.日.晴/遂に日本の地を踏む。この旅を活かす生活が始まる。/Bangkok→Hongkong → Tokyo

遂に日本の地を踏む。
8時半、発。香港へ40分程止まり、ロビーまで降りる。
夕暮れ近い香港は、まだ明かりもチラホラという感じで、有名な夜景は見られず、残念。

羽田へ着いたのは、6時10分。
灯が空から見えた時、胸が何んとなく、ワクワクした。黄婚の東京には、すでに灯が沢山見え、空は曇っていた。

車輪が止まると、遂に、生きて戻ったと思った。ああ、無事命だけは持って帰れた、そうしみじみ思ったのは、ど

もっとみる
❨932❩1974.3.18.月.晴→曇/ー後記ービ~~バ ビシクレッタ!!/日本

❨932❩1974.3.18.月.晴→曇/ー後記ービ~~バ ビシクレッタ!!/日本

一後記ー

何を取りあげ、何を省くか思案に明け暮れ乍ら、やっとこの一冊が出来た。
毎日記録した事を、そのまま載せただけで、読みごたえも、面白くもないと思う。
楽しんで読んでもらおうと思って書いた訳ではない。
小生の旅の間、心配をかけ、応援を送ってくれた皆さんに、感謝の意をこめて、どんな旅でどんな所へ行ったのか、少しでも知ってもらえればと思い、四冊の日記からこの一冊にまとめた。

二年半の旅は、長過

もっとみる
❨お礼❩2024.3.19.火.晴/ありがとうございました!/日本

❨お礼❩2024.3.19.火.晴/ありがとうございました!/日本

二年半の「世界漂浪の記 ―世界35ヶ国 2年半 一人旅の記録―」が終わりました。
このページへ来て下さった方皆さんへ、毎日投稿してきました長女の私より、お礼を申し上げます。本当にありがとうございました!

小さな頃から、まるで子守唄のように父の旅の話を聞いてました。
いつか孫たちがおじいちゃんの冒険に興味を持ったときに、いつでもどこにいても読めたらいいなと思うようになり、ちょうど旅の出発から50年

もっとみる