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恩師の最終講義をきいた話。

1月6日、快晴

束の間の平日休み、とはいえ年末から1週間近く続いた胃腸風邪の影響もあり念には念を入れてリモート出席。法学部の基礎ゼミでお世話になったO先生の最終講義を100分間堪能しました。卒業から今年丁度10年、こんな偶然もあるものですか。とはいえ60歳とは思えぬ捲し立てるような語り口と鋭角さそして150枚に渡るスライド、在学中のお姿そのままでした。

専門は西洋政治思想史とNPO/NGO論。主宰が卒業してからは、新たに政治哲学の講義も担当されていたそうです。マイケル・サンデルのような授業を目指して、と学部から氏に声が掛かったほどですからいかにペラが回りまた学生達と同じ目線で議論を深められる存在であったかわかるかと思います。大学生活4年間で最も影響を受けた一人、恩師と呼ぶにはちと恐れ多い。

「法学部四天王」の実像

その昔、怠惰な学生達が単位取得率の低さを理由に生み出した「四天王」の存在があった。その一人が何を隠そう、O先生でした。基礎ゼミから論文の提出が単位必須条件だったことも大きな要因か、たかだか数千字の壁に跳ね返され同期の半数近くが再履修を決め込んだのを覚えています。「四天王」なんて訊くとこう、さぞかし気難しく融通の効かない人物を思い浮かべる。

ところが蓋を開けてみると、世間が抱く法学部教授(中にはいかにもな先生も沢山おられました!!)らしからぬ実にあっけらかんとした、それでいて非常に人間くさい部分が魅力のおじさま。論文提出後にはゼミ生達を自宅に招き、いわゆる「口頭試問」を執行。もう完全にボコられる流れですがそんなことは全然なく、奥様にお茶を注いでいただき炬燵で温もりながらの談笑。

金言の数々

君の論文が間違いなくゼミで一番の仕上がりなんだけどさ、一応希望者には書き直して再提出してもらってる。どうする?の質問に秒で「やりません」と答えるくらいには主宰も青かった。でも先生は嫌な顔ひとつせず、むしろゲラゲラ笑いながら返してくれて。結局外部イベント実行委員やらサークル幹部やらを兼任していたため、大学最初で最後のゼミを終えた形でした。

モノを調べる時は必ず一次資料にあたること、根拠を明確にすること、物事をフラットに捉える癖を付けること、なぜ?を積み重ねること、議論を積み上げ真理に近付いていくこと。とんでもない角度からボールが飛んできたりもしました。でもそれは意地悪でも難癖でもなく、凝り固まった主宰の頭をほぐすためにあった。精神論にすらコンテクストを感じさせた。

代役がいない

NPO/NGO論という名前の授業は、日本でも極めて少ない。先生が開けた穴はとてつもなく大きく、ひょっとすると講義自体がなくなってしまうかも。相互確証破壊で始まってトクヴィルの引用で終わる、果たしてついてこれる在学生達はどのくらいいたのか。Zoomにも卒業生の方々が大勢詰めかけておられました。日本中の大学名が並び、中にはNPO/NGO職員の文字も。

とことん議論させてくれる先生。語尾は決まっていつも「君はどう思う?」でした。押し付けがましくなくそれでいて説教くさくなく、もっと深めようもっと広げてみようと常に学生達を鼓舞する姿。アメフトをこよなく愛し、パートナーをちゃん付けで呼ぶ。どこか無機質で一方通行感の強い大講義室の授業が、ワンルームマンションで鍋を囲むような密な空間に感じられた。

今でも関学上る時、先生の家の前通ったりするんすよ。お疲れ様でした。

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