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人は人から影響を受けるか、また与えるか

『影響』

 太宰治の名言に『人は人に影響を与えることもできず、また人から影響を受けることもできない。』という言葉があります。

 よく言われる例だと「コーヒーにするか、紅茶にするか」というものです。

 「コーヒー」と答えると親の真似事と捉えられ、「紅茶」と答えても何らかの真似事と捉えられます。

 コーヒーや紅茶に限らず、私たちがする無意識化の選択の多くは親の真似事とされています。

 人は親から影響を受け、親以外の第三者から影響を受け、私たちもまた誰かに影響を与えているかもしれません。

 そして、自分の行動を無意識に支配されているかもしれません。

人は人から影響を受けるか

 結論から言うと、私は人は人から影響を受けないと思っています。

 これは前述した内容と矛盾するのですが、中々に自己というのはそうそう変えれるものではないと自負しているからです。

 確かに、何かがきっかけで物事を始めるということはあるかもしれません。

 例えば、スポーツ漫画を読んで該当するスポーツを始める、親が医者だったから自分も医者になる運命だと医大に進学をする、学校で悪いことをしてはいけないと教わったから日常でも悪いことをしてはいけない、などでしょうか。

 とはいえ、決断するのは「自分」です。

 自分が嫌だと思えば行わない、もしくは躊躇します。

 自分がしたいと思えばどんな事柄でも基本的には行うものです。

 良し悪しは親の影響かもしれません。

 ただ、この決断には自己の意思が備わっています。

経験談

 私は、日ごろからよく、希死念慮に襲われることがあります。

 「なぜ生きているんだろう」
 「死にたい」
 「生きている意味はなんだろう」
 「どうして働かなくてはならないんだろう」 

考え出すと止まりません。



 上記以外にも多くの悩みを日々抱えて生きています。

 死のうとした日は幾度となくありましたし、実際に行動しようと
して失敗したこともあります。

 こんな私にも恋人ができたこともこの4年間何度かありました。

 〇〇と一緒に居たいから、支えたいから、これからも側に居てほしいからと、自分の動機付けになるかかなり考えていました。

 結果、なりませんでした。

 いくら恋人が居ても、希死念慮はそうそうゼロにならないし、動機付けにもうまく結びつきません。

 長期間待てば変わるモノもあるかもしれませんが、女性にはタイムリミットがある以上あまり悠長に待てるものではありません。

 また、やりたくないこと、納得できないことをやるというのも難しいです。

 とにかく、生きること自体が難しいし、完璧に上手くやるのは無理なんだろうと痛感しています。

マズローの欲求

 ところで、「マズローの欲求」というのを皆さんご存じでしょうか。

 上記の言葉を知らなくても、単語単語に聞きなれたものはあるでしょう。
 
 

一般的に下から上へと目指していきます。


 
 下から順に、

 1.生理的欲求
 2.安全の欲求
 3.社会的欲求
 4.承認欲求 
 5.自己実現欲求

 
 とあります。
 
 1が下で5が上のピラミッド型でこれらが表されており、1から順番に満たしていくことで5に到達できるということを示しています。
 
 「食欲」「睡眠欲」「性欲」などの三大欲求が最初の生理的欲求にあたります。

 これが満たされていると、安全な場所で経済的に安定した暮らしをしたいという2つ目の安全の欲求を目指します。

 これが満たされると、家族や組織などの集団に所属して、自分を受け入れてくれる他者の存在が必要になっていき、社会的欲求を覚えます。

 そして、集団に所属する中で、誰かに認められたい、愛されたいなどの承認欲求を欲します。
 
 最後に、自分にしかできないことを成し遂げたい、自分らしく生きたいという自己実現欲求を覚えるのです。
 
 私のような抑うつ感情を持つ人間は、全ての欲求が低いです。

 また、本来は生理的欲求からステップを踏むのですが、何らかの行動をするにあたって、「自分でもできる」「自分のやりたい職業・趣味とは」など、ステップを無視した行動を起こす時があります。
 
 マズローはこのように、「人間は自己実現に向かって成長する」と考えていますが、私はこの順番は無視しても構わないと思っています。
 
 ただ、これに結果が伴うとは必ずしも限らない
 
 また、上記の図には、6つ目の欲求があり、それを自己超越の欲求と言います。
 
 自分だけじゃない、他人や社会などの他者のための欲求を指します。
 
 ただ、マズローが実際に証明したわけではないのでここでは省かせていただきます。

理想の〇〇

 理想の家庭、理想の恋人、理想の職業、理想の世界など、私たちは常に今ある現実よりも何らかの理想にすがりがちです。
 
 私にとっての理想は、今後とも現在の恋人と末永くお付き合いをして、恋人の側に居たいこと。
 
 また、私はNoteで投稿しているように、文章を書くのが好きですから、これと類似した職業に就きたいという理想を持っています。
 
 特に後者について、最近の私は譲れないと考えています。
 
 私の現在の恋人の要する理想と、私の今後の在り方に相反があった場合、これは悩ましいが、私は私という「自己」を優先すると思っています。
 
 ただし、恋人ももちろん人間ですから、「自己」を持っているはずなので、自身の自己実現の欲求のために最終的な行動をしてほしいと考えています。
 
 私にとっての現在の恋人とは、「好き」の上位である「愛」を感じていて、人生で初めて今後も隣に在りたいと強く断言できるかけがえのない大切な存在です。
 
 しかし、自己実現には適わない。 

 無責任だと言われるかもしれませんが、これが23年生きてきた私の現状の人生観であり、私の掲げる理想です

最後に

 私は、人は自己実現に向かって成長していくのだから、人から影響を受けることはないと考えています。
 
 というより、他人から影響を受けているようでは、自己実現はとうてい成しえないと思っています。
 
 かなり無責任なことを文章中話しているかもしれませんが、もし反論を言いたくて癇癪を起しそうなのであれば、1億2千万人住んでいるこの日本の総人口のうちのたった1人の人間が考えている暴論だと思って適当に流していただけると幸いです。
 
 しかし、そう思うと家族というのは本当に奇跡のような現象ですね。
 
 お互いの感情や意思が上手く合わさって、共通の理想に向かっていく。
 
 美しいですね。
 
 自分もいつかできるのかな。
 
 その相手が現在の恋人なら良いなと思っている次第です。
 
 本投稿も2500文字を超える長文となってしまいましたが、ご愛読大変ありがとうございました。

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