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趣味のない人が意外と多くいらっしゃいますよね。私はどんなことにでも興味を持ってしまうので、趣味がない、興味がわかない人の気持ちが、正直分かりません。今日お会いした人に聞いてみたところ、感動もしないという話が出てきて驚きました。

感動=物に深く感じて、心を動かすこと。

72歳の女性で子供二人、孫二人、ご主人健在。働いたことがなく、専業主婦。話を聞いていると、主人に仕えて口答えせず、家事と育児に専念してこられた人です。もうひと世代上の人と同じような境遇かな、と思いました。

子供が生まれた時も感動しなかったそうです。「むしろ、これから大変だな、という思いしかなかった。子供が初めて歩いても感動しませんでした。歩くとこれからもっと大変だなという不安しかなかった。」と言われました。

感動とは、感情が動くことで起こります。新しく発見して、ワクワク・ドキドキする気持ちはとても楽しいものです。美しい景色を見た時、映画やスポーツを観た時など、感動する場面は日常的にいくらでもあります。ただ、人によって感動の薄い人もいますから、みんな同じではありません。

私は感動することが大好きです。とくに奈良へ引っ越してからは、綺麗な景色を見て感動したくて行動することが多くなりました。歳ですかね?(笑)また、食べることによって、感動を得る人も多いですよね。

世の中にはたくさんのジャンルがありますから、何に興味を持つかなんて人それぞれです。なのに、趣味がない、興味がわかない、感動したいと思わない、という人がこの世にいることも事実なんです。

それが個性ですから、私がとやかく言うものではありません。ただ、そういう人は、認知症になりやすい傾向にあると思います。それに人生最大の目的である「楽しむこと」から損をしていると思います。

次に老後不安について尋ねてみました。「とくにないです。先のことはわからないでしょ? そんなに長生きするかどうかも分からないから、そんなこと考えたってしょうがないので、不安はありません。」

その人の背中はどんどん丸くなってきているし、肩関節の可動域が極端に狭くなってきています。足関節の動きも偏っていますので、このままではダメだという説明をしました。運動もしないし、見たい番組があるわけでもないのに、毎日テレビの前で過ごすそうです。

自分の老化に対して、危機感がない!

人間は必ず老化します。そして死にます。絶対避けられません。カレンダーがあと一枚になると、「あっという間の一年」と言われますが、時間が突然無くなったわけではありません。ちゃんと1秒ずつ刻んで、一日ずつ過ぎていきます。何もなかった日なんてないはずです。残り少なくなっていく自分の時間に危機感を持たないのはどうしてなのでしょう? 「平凡な人生」という言葉を、どうもはき違えているようにも感じました。

些細な変化に気付くことができれば、新しい発見もあるはずです。身の回りの物を見渡せば、知らない物ばかりです。世の中の1%も知らないはずです。知ろうとした時に、発見があり、きっと感動があるはずです。感動はどこからやってくるのか、医学的なことは知りません。でも、感動することで、人生が楽しく豊かになることは間違いありません。

平凡な人生とは、何もない人生という意味ではありません。
健康で生活できるのが85歳までとして、あなたはあと何年ですか?
残り少なくなった時間をどのように使いますか?
悲しい出来事に遭遇するより、楽しい出来事に出会いたいですよね?
さて、明日は何をしますか?
感動に出会えるといいですね!


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