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「トンデモ医療」を遠くに眺めて
SNSを眺めているとどうしても目に入ってくる「トンデモ医療」と呼ばれる類の情報達。
そこでは毎日のように医療従事者を含めた大勢の人達が活発に議論を行なっている。
僕を含めた多くの医療従事者はエビデンスを重視するスタンスをとっているため、信憑性が低い情報を安易に肯定することは難しい。
もちろん現在行われている医療行為の全てにエビデンスがあるわけではなく、慣習的に行われていることもあり、今後変わって
医者であることは自分への失望の連続である
医者になってからというもの、心底自分に絶望している。
「人を助けたい」「人のためになりたい」そういったモチベーションを持ってこの仕事を選んだし、その思いは今でも変わらない。
しかし時折、このモチベーションの灯火が自分の中で消えかかる瞬間がある。
例えば、翌日も通常業務の当直の夜に起こされ続けた時、病院の救急当番で夜通し軽症患者の対応に追われた時、緊急手術が終わった瞬間に救急科から急患の相談があ
文章を書くことをやめて、始める
文章を書きたい欲は中学生から大学生にかけてがMAXだったように思う。
中学生の頃はクラスの端っこに勝手に自分用の文庫を作って、中二病の熱くて鬱陶しい文章を置いたりしていたし、高校生の頃は初めて買った自分用のパソコンで誰に見せるでもない文章を書き続けた。
大学生の頃はmixiが流行っていたため、日々の思いをそこの日記にぶちまけていた。
とにかくツッコミたいことや、わかって欲しい思いだらけであった。
英語との未練がましい関係とダサい僕
約2年ぐらい前からオンライン英会話を続けている。
受験のための英語の勉強はあまり好きではなかったため、大学入学とともに英語学習はほぼしなくなった。
「ほぼ」しなくなったというのは、頭の中に漠然と「英語は大事だよな」という考えがあって、その後もたまに英単語帳を開いたり、英語学習系のYouTubeチャンネルを見たり、突然TOEICを受けたりと惰性で英語との付き合いを続けていた。
仕事でも英語は最低
走ることは気持ち良くない
週に1、2回走ることを習慣にしている。
しかし大会に頻繁に出場し、目標のタイムを設定し日々練習しているような勤勉なランナーというわけではない。
走る距離は最近だと6キロ程度が多いが、走るペースはその日の体調によってまちまちだ。
長距離は昔から比較的得意だった。
練習すればするほど速くなっていくのが面白く、小学校のマラソン大会前には母に自転車で後ろからついてきてもらいながら田舎道を毎日走った。
育児について語るときに外科医の語ること
「父親と一緒に遊んだ覚え全くないですね」
大学時代に聞いた外科医が父親だった後輩の言葉である。
僕は外科医になると決めた時、絶対に自分は外科医と父親を両立させようと思った。
二兎を追い、二兎を得てやると決意した。
正直我が家の子育てに関しては妻なくしては成り立たない。
食事の準備、習い事の送り迎えをはじめ平日の日中は全ての育児を妻に任せっきりであり、妻には感謝しかない。
そんな状態で僕が育児に関
匿名でツイッターをすること
「走る外科医🏃♂️こみけん」これは僕の第二の名前だ。
本名ともあだ名とも全く関係ない僕自身が作り上げた名前。
もちろん僕が生活するリアルワールドでは誰一人僕が第二の名前を持っていることなど知らない。
僕はこの名前を使い、日々感じたり、思いついたことをツイッターで呟いたり、こうして文章を書いたりしている。
僕が第二の名前を使う理由は医者とユーモアやプライベートの相性があまり良くないと考えている