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文章を書くことをやめて、始める

文章を書きたい欲は中学生から大学生にかけてがMAXだったように思う。
中学生の頃はクラスの端っこに勝手に自分用の文庫を作って、中二病の熱くて鬱陶しい文章を置いたりしていたし、高校生の頃は初めて買った自分用のパソコンで誰に見せるでもない文章を書き続けた。
大学生の頃はmixiが流行っていたため、日々の思いをそこの日記にぶちまけていた。
とにかくツッコミたいことや、わかって欲しい思いだらけであった。

文章を書くことに対して現在、かつての熱量があるかと言われると自信がない。
あの頃はどうしてあそこまで夢中に書き続けることができたのだろう。

当時を振り返ると、とにかく世の中に対する不満とそれを人に理解して欲しいと思う気持ちで溢れていたように思う。
世間の不条理に対する怒りと承認欲求に溺れていたのだ。

それを考えると、今そこまで文章に対して貪欲に向き合えない理由もわかってきた。
僕はもう世の中に対して怒ることをやめて、「人間なんてそんなもんだろう」と諦めているからだ。

自分がおかしいと思うことに対して、おかしいと思わない人がいることもわかったし、そのことに対して「なんでわかってくれないんだ」と思うこともなくなった。
寂しいが、所謂僕が当時死ぬほど嫌っていた「大人」になってしまったんだと思う。

それに今は妻という理解者がいることも大きい。
家に帰れば思ったことをすぐ話せる相手がいることと、孤独ではないということが僕の承認欲求を満たしてくれている。
他人に必要以上にわかって欲しいと思わなくなったのも当たり前だ。

そういった背景もあり長いこと文章を書くことから離れていたが、最近noteを始めた。
当時のように「わかって欲しい」という念から少し距離を置けた今なら、身の回りで起きたことや考えてることをそのまま等身大の文章として書けるような気がしたのだ。

有り余る情熱があるわけではないが、ゆるりと自分のペースで自分の書きたいことを文章にしていきたいと思う。
怒りや不満や嘆きや承認欲求を遠くに眺めながら。

#文章