【書評】塩野七生『マキャヴェッリ語録』は通勤電車にピッタリな本
ロッシーです。
塩野七生さんの本に、一時期はまっていました。
ローマ人の物語は文庫で全43巻。特に、ハンニバル戦記やカエサルのあたりは本当に面白い! 戦闘シーンが図で説明されており、「なるほど、要は敵を包囲すれば勝てるってことか。」と軍師になった気分で読んでいました。
ギリシア人の物語も面白いかったです。ローマ人の物語がスターウォーズエピソード4だとすれば、エピソード1~3みたいな感じでしょうか。やはり、西洋文明のおおもとであるギリシアを知らずして、ローマを語ることはできません。
さて、前置きが長くなりましたが、塩野七生作品のうち、現在自宅に残っているのは『マキャヴェッリ語録』のみです。他の本は収納スペース不足により処分してしまいました。
つまり、私の蔵書における自然淘汰を生き残った本の1冊なのです。
この本は、薄めの文庫本なので、通勤電車で読むのにちょうど良いです。
内容は、ニッコロ・マキャヴェッリの語録が「君主篇」「国家篇」「人間篇」と3つのカテゴリーに分かれて簡潔に記載されており、どこから読んでもOKです。
だから、「せっかく盛り上がってきたのに最寄り駅に到着して読書中断」という通勤電車読書あるあるとも無縁です。
さらに、ここが重要な点なのですが、サラリーマンにとって非常に有益な内容であることが挙げられます。
なにせ、ざっくり500年生き残ってきた数々の言葉ですから、何かしら参考になるものが見つかります。
例えばこんな一節。
会社の会議に参加していると、まさにこのとおりだなと痛感することばかりです。
また、会社で新規事業の企画に参画したとき非常に苦労しましたが、それもマキャヴェッリの洞察通りでしたね。
この本を読むと、何かしらそのときの自分にとって有益な言葉が見つかります。
本の中の言葉自体は変化していませんが、それを読む自分自身は毎日変化しています。
だから、読むたびに違う角度や切り口から読むことができ、新しい発見があるのです。
もちろん、どんな本でもそうかというと、やはりそれに見合うほどの度量の深い本でなければいけませんが、『マキャヴェッリ語録』はそれに見合う本だといえるでしょう。
最近、「リスキリング」という言葉が流行っています。リスキリングとは、「新しいことを学び、新しいスキルを身につけ実践し、そして新しい業務や職業に就くこと」ということです。
「DXに対応するために、プログラミングを学ぼう!」
みたいなのがリスキリングの良い例なのかもしれません。
確かに、プログラミングを学ぶことは、基本的な仕組みを知るうえでは役に立つと思います。
しかし、AIが毎秒進化している時代に、中高年者が プログラミングして、”Hello World!”とモニターに表示させることから始めるのは、「新しい業務や職業に就く」という目的からするとどうなのでしょうか?
そのスキル習得に時間をかけ、仕事として使い物になる頃には、もはやその技術はAIによって素人でもできるレベルになっている可能性のほうが高いのではないでしょうか。
つまり、リスキリング自体を否定するわけではありませんが、それに時間をかけている間に、AIはもう目の届かないところに行ってしまっているわけで、追いつくことはなかなか難しい。AIと人間は、いわば車と徒歩くらいスピードの違いがあるわけです。
「じゃあ、リスキリングは無意味なのか?」
というとそうではありません。どうせリスキリングをするのであれば、AIが得意な分野や移り変わりの激しいもの、つまりすぐに陳腐化してしまう技術を学ぶより、人間の性(さが)という変わらないものについて学ぶほうが、より効果的なのでは?ということです。
どんな社会も組織もビジネスも、結局は人間次第です。
つまり、人間に対する深い理解があるかないかのほうが、陳腐化しやすいスキルを習得するよりも重要度が高いといえます。
それには、歴史を学ぶことが重要です。歴史を学び、過去の出来事や人間のふるまいから現在にも適用可能な知見を見いだせれば、それはおそらく陳腐化しにくい可能性が高いでしょう。
ただ、それをするのは忙しいサラリーマンにとっては大変です。
であれば、何百年たっても色褪せない(つまり陳腐化しない)言葉を本から学ぶことは、コスパ、タイパともに優れているのではないでしょうか。
『マキャヴェッリ語録』は、まさにそれにふさわしい一冊だと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。
Thank you for reading!
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