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君たちはどう生きるか

ジブリのアニメ。
何回も見返す(魔女の宅急便とかもののけ姫)のもあるし。
そうでもないのもあるし。
まだ見ていない映画もある。

けっこう、バタバタと生きてきたから。
これからは好きな時に好きなように好きなだけ。
いろんな芸術を。
楽しく「創った人が披露してくれる世界観」とさらに共振したい。

『君たちはどう生きるか』

興味があって観てきた。

映画以外でも。
芸術と呼ばれる域から飛び出してきた現象化は。
なんらかの滋養があったり。
メッセージが含まれているもので。

その時その時の感受性で自分にとってのヒントを作品からダイレクトに受け取ればいいだけ。

なんでもそうだけれど。
世に出た作品すべては。
受け取りての感性次第で。
受け取りての世界の中では。
受け取りての自由にラベリングできるという自由ある。

発信側のことは。
発信側の発した素粒子のリアリティによって。
現象化されていくんだし。
受け取りてのジャッジすら。
発信側が『受け取りてのどんなジャッジにフォーカスするか?』
で発信側の世界が織りなされていくので心配は無用だ。

ただ、受け取りてがぷりずん地球に幽閉中の場合のジャッジは。
幽閉期間に影響するし。
ランドリー地球で洗濯中の場合には。
汚れ落ちに影響するので。

取り込む段階での『他人の現象化の選択チョイス』も大切。
センスのみせどころ…。

宝の地図になるか?ならないか?は。
受け取りての解読センスにるから。
他人の解釈に委ねて取り込まないと。
見誤ることにつながることもあれば。
他人の解釈を安易に取り込むことで。
発信源の濃い情報が濃縮還元されちゃって。
栄養素ゼロ…場合によっては悪影響を及ぼすくらい。
ワクワクの宝探しを妨害してくる山あり谷ありが人生の醍醐味だから。

それに気がついて乗りこなせるようになるまでは注意要だった。

自分の望む未来に悪影響・・・・・・・・・・・の場合には取り込まない選択も大切だ。

そして。

「取り込まない」と決めたときに。
「取り込まない」と決めたのに。
そこに感情を組み込んで論じコメントてしまうと。
♾️「取り込まない」を「取り込む」♾️無限ループが。
論じた人間の人生にだけ現象化するので。
注意要だ。

『君たちはどう生きるか』は

ぷりずん地球人時代の自分で見たらまったく意味が分からなかったかも…。
ちょうど、ランドリー地球人から蒸留装置地球人へのルート探索中だったのである意味タイムリーな現象化だった。

「わからない」って理由で酷評されているみたいだけど。
「わからない」ことがのちのち「わかる」場合もあるわけで。
酷評する必要はないのではないだろうか?

宮崎駿監督は監督の世界から作品を取り出して披露してくれただけで。
それを「「わからない」でいる鑑賞者」という現象化を創ったのは自分自身…。
映画(&芸術系)は、自分の進化度合いで堪能度が変わるもの。

急に味変する時の感動もあるから未知なる作品はたまらない。

何回か観るうちに味変するであろう期待値『大』の映画です。

くれぐれも。
今理解できないからってネガティブに反応してしまうと。
アオサギ・ペリカン・インコ・わらわらな人間界のごとく。
入れ替わり立ち替わりぐるぐる回って。
積木は崩壊しまくるので注意要。

とかいって。
自分もぷりずん地球人の時はありとあらゆるものに酷評しまくって。
ぐるぐるぐるぐる回りまわってたから。
本当は何にも言えね~😅😅😅

で『君たちはどう生きるか』

(あれ?人生・同じこと何回もくりかえしすぎなんじゃね?)

って気がついて。

蒔いた種の刈り取りがほぼ終わってひと段落したくらいの。
ランドリー地球人後期くらいに観ると。
「酔い醒ましの苦い味」がする感じ…。

見て見ぬふりをしっかりとしちゃうレベルで真面目な企業カルマの裏帳簿は真っ黒な・・・が多いなか。

夢中にさせることで覚醒させないオブラートで包みこむエンタメ業界で。

先駆けて「実は地球ってこんな幻想と実相じゃない?」と。

側頭葉をスカッとぶん殴ってきた。

目が醒めた状態で堪能させていただいて。

「で・それ知って・どうするよ?人類?」と問われた。

ジブリのような。
社会のメビウスの輪を陽転させ続けることで栄えた会社が。
地球の流転の中毒性にメスを入れたような…。

崩壊する前に人類史上初めての変容を遂げるには?

『私たちはどう生きるか』にかかっている。



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