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記事集・H

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私は蓮實重彥(蓮實重彦ではなく)の文章にうながされて書くことがよくあります。そうやって書いた連載記事や緩やかにつながる記事を集めました。
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#杳子

鏡、時計、文字

鏡、時計、文字

「わける、はかる、わかる」への投稿後の加筆が、かなり大幅なものとなってしまったので、加筆した二つの文章を独立させ、新たな記事にしました。ふらふらして申し訳ありません。

「同一視する「自由」、同一視する「不自由」」は蓮實重彥の文章にうながされて書いたものであり、「「鏡・時計・文字」という迷路」は古井由吉の『杳子』の冒頭における杳子と「彼」の出会いの場面について書いたものです。

 私は古井由吉の作

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まばらにまだらに『杳子』を読む(07)

まばらにまだらに『杳子』を読む(07)


反復され変奏される身振り
 あるひとつの作品のなかで、または複数の作品のあいだで、ある言葉や身振りや光景が、わずかに移りかわりながら、くり返されることがあります。

 ともにふれる、ともぶれ、共振。
 ふれる、振れる、震れる、触れる、狂れる。ぶれる。ゆれる。
 もたれあう、つりあう、釣りあう、吊りあう、釣り合い・吊り合い。

 今回は、以上の言葉の身振りとイメージが、『杳子』という言葉で書かれた

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まばらにまだらに『杳子』を読む(08)

まばらにまだらに『杳子』を読む(08)


見て見て
『杳子』の「一」を読んでいると、目につくことがあります。くり返されているし、反復されているのです。

 たとえば「見」「目」「感」という文字が頻出します。驚くほど多いのです。まるで「見て見て」と言っているように感じられるほどです。

 そう感じたら、ちゃんと見てやらなければなりません。言葉は健気だし、いとおしいものです。

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「見」「目」「感」を見ていて気がつくことがあり

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まばらにまだらに『杳子』を読む(10)

まばらにまだらに『杳子』を読む(10)


見る「彼」
『杳子』の冒頭から、視点的人物である「彼」の「見る」身振りを書かれている順に――小説ですから出来事の起こった順に書かれているわけではありません――見ていきたいのですが、とても多いので、気になる部分だけを選んで引用してみます。

(『杳子』p.8『杳子・妻隠』新潮文庫所収、以下同じ)

 上の「認めて」(見留めて)は、登山に不可欠な「見る」でしょう。このように自然のしるし(兆)を知覚し

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『杳子』で迷う

『杳子』で迷う


謎解き
 小説を読むさいに、何らかの見立てを設ける場合があります。見立てなんて言うと、もっともらしく響きますが、図式的な先入観をもって読書に臨むことでしょう。

 ようするに決めつけて読むわけです。

 たとえば、謎解きです。ジャンルがミステリーの小説であれば、謎解きがテーマなはずですから、「正しく」謎を設定して、「正しく」解いていけば、「正しい」解にたどり着けるでしょう。

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わける、はかる、わかる

わける、はかる、わかる

 本記事に収録した「同一視する「自由」、同一視する「不自由」」と「「鏡・時計・文字」という迷路」は、それぞれ加筆をして「鏡、時計、文字」というタイトルで新たな記事にしました。この二つの文章は以下のリンク先でお読みください。ご面倒をおかけします。申し訳ありません。(2024/02/27記)

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 今回の記事は、十部構成です。それぞれの文章は独立したものです。

 どの文章も愛着のあるも

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