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「優しくされる」という痛み

――心に病を患ったとき、それはうつ病とか適応障害とか名前がついているものも、そうじゃないものも含めてですが、そいつを治すものは「優しさ」であることは間違いないようです。


人生は物語。
どうも横山黎です。

作家として本を書いたり、木の家ゲストハウスのマネージャーをしたり、「Dream Dream Dream」という番組でラジオパーソナリティーとして活動したりしています。

今回は「優しく在れ」というテーマで話していこうと思います。


📚優しくされるという痛み

前回の記事で触れたように、この頃不幸続きの僕にとって「優しくされる」痛みを感じることが多くありました。もちろんありがたいし、とっても助かるんだけれど、何でこんなにも献身してくれるんだろうと胸が苦しくなったんですよね。今回はそんな話をゆっくりしていこうと思います。

「不幸」といっても、今回話題にするのは「パートナーの車のタイヤを傷つけてしまったこと」そして、「業者に頼んだら高額の請求をされてしまったこと」なので、どちらかといえば、「ミス」や「間違い」といった方が正しいかもしれません。

1年半くらいペーパードライバーだった僕は、3月末ごろからパートナーの車を運転させてもらうことによって少しずつそこから脱却しつつありました。普通に仕事で乗りこなしていたし、パートナーの誕生日には少し遠いところまで出かけにいきました。夜桜を観に、仕事終わりに夜道を車で飛ばしたことも。

元々僕は不注意な人間だから、車に乗ったらどうせ事故を起こすと予感していて、免許は取ったけれど乗らないでおこうと決めていました。ただ、ゲストハウスの仕事を始めるにあたって、清掃とか備品購入とかするにあたり、あった方が何かと便利であることに気付き、パートナーの車を借りることになったというわけです。

しかし、その予感があたってしまいました。運転に慣れてきた奢りもあったのでしょう、自分のアパートの前に駐車しようとしたとき、誤って縁石の角にタイヤをぶつけてしまって、パンクさせてしまったんです。

さらに、その後業者を呼んだんですが、相場よりも高い金額の請求をされてしまい、経済的にも精神的にも参ってしまったんです。僕の親は車を運転していなかったし、車のある生活に慣れていなかったこともあり、タイヤの交換の相場なんて知る由もないから、「まあ、こんなものなのか……」と一度あきらめてしまったんです。

ただ、後になってパートナーや上司の宮田さんに訊いてみたら、「高すぎる」と一言。事実整理をして、やっぱりぼったくりだよねと結論付け、クーリングオフを決行することになったんです。僕が車のことで何にも知識がないが故、パートナーや上司がいろいろ対応してくださって、どうにか事態を好転させようとしてくれたんです。

つくづく僕は人の出逢いに恵まれているなあと思いつつ、胸の奥に確かな痛みを覚えていました。なんでこんなにも優しくされるんだろうという疑問が棘になって、心に刺さってしまったのです。


📚包み込むような優しさ

事故を起こした翌朝は頭痛が酷くて起き上がるのに一苦労でした。今日は仕事に行けないかもしれないと何度も思ったけれど、いろいろと対処してくれたし、車の事故と仕事の話は関係ない。また、仕事をするからこそ気を紛らわすことができると思い、どうにか起き上がり、家を出ました。

食欲なんてまるでなくて、朝も昼も食べずにいたら、宮田さんからおつかいを受けたパートナーが清掃終わりにゼリーや食べ物を買ってきてくれました。僕の好物の芋けんぴがあるあたり、さすがだなあと思ったり。

仕事終わりにクーリングオフのはがきとメールを書いたんですが、その後宮田さんから「腹減ったでしょ? カレー食べる?」とのお誘い。宮田さんのお父さんがつくったカレーライスをいただきました。クラフトビールで乾杯をして、僕と宮田さんはこの頃の僕の不幸に言及しました。

「いろいろありすぎたね……」

話の流れで、宮田さんの一年目のエピソードに。大企業に入社した宮田さんは、入社式当日ネクタイを忘れたことで目をつけられ、4月は上司から散々な目に遭ったそう。反省文を書くのは日常茶飯事で、反省文を提出するのが遅かったことに対する反省文も書かされたとか。

僕は宮田さんは行動力があって、スピード感があって、他人の目を気にすることもない、メンタルが強い人だと認識しています。しかし、宮田さんも最初からそういうわけではなかった。

「別に俺、メンタルが強かったわけじゃないけどな……」

「環境がそうさせたってことですか?」

「そう。結果的に強くなっただけ」

宮田さんとの語り合いのなかで、僕は自分の変化に気付きました。心身ともに参っていましたが、宮田さんのエピソードに自然に笑えるようになっていました。僕の人生のなかでいちばん不幸が重なっていたとはいえ、世の中にはもっと散々な目に遭っている人は五万といるし、僕には上司とパートナーをはじめ、ステキな仲間たちがたくさん身近にいる。その尊さを感じることもできました。

また、決して言葉には出さないけれど、行動や物語で慰めてくれる宮田さんの優しさを感じ取ることができました。1年以上いろんなお客さんを迎えたサービスマンだからこその振る舞いなのかなとも思いました。


📚優しく在れ

心に病を患ったとき、それはうつ病とか適応障害とか名前がついているものも、そうじゃないものも含めてですが、そいつを治すものは「優しさ」であることは間違いないようです。

もちろん冒頭で触れたように、優しくされるからこそ痛みを覚えることはあるのだけれど、それは必要な痛み、通過点としての痛みであって、その先には寛解へと続く道が伸びているんですよね。

そういえば僕も人から相談されることが多い人だからいろんな人の悩みを聴いてきたと自負しているけれど、そのときに意識していたのは、一貫して「優しく在ること」でした。否定はしないし、むやみに正しさも提示しない。相手のなかにある答えを引き出して、それを正解だと僕が、そして相手自身が認めることがゴールであることを忘れず、話を聴いていたのを思い出します。

問答を繰り返していると、相手が痛みを覚える瞬間は確かにあって、それを受け、こっちも別のルートを選択して軌道修正をしたりする。最初から最後までずっと優しくするという前提のもと相談を受けると上手くいっていたことを思い出したんです。

優しくする側も、優しくされる側も経験したからこそ、優しく在ることの意味を再確認することができました。またこれから人に優しくなれそうです。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

20240429 横山黎



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