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自分が良いと思うもの、他人が良いと思うもの。

――他人に迎合しようとか、いやそれでも我が道をいこうとか、その二元論で判断するのではなくて、自分のこだわりを守りつつも、他人の意見を取り入れていくことが必要なんじゃないかなと思うのです。


人生は物語。
どうも横山黎です。

今回は「自分が良いと思うもの、他人が良いと思うもの」というテーマで話していこうと思います。

📚自分の評価、他人の評価

自分が良いと思うっているものに対して、他人はどう評価するのか。

物語をつくったり、作品をつくったりしている人は、プロアマ問わず、この問題とぶつかることがあると思います。両者が重ねれば完璧なんだけど、自分はめちゃくちゃ良いと思っているものに対する他人からの評価がいまいちだったとき、作り手は葛藤してしまいます。

自分のこだわりを壊してまで他人に寄り添うのか、他人の評価など気にせずに我が道を進むのか。


普段noteの記事を書かれている方も、同じような経験があると思います。渾身の記事を書いてわくわくしながら投稿して、一晩経ってもスキが伸びない、コメントも来ない……みたいな?

僕のアカウントで一番多く読まれているのは「【教育論】どうして教師は授業中に机の間を歩くのか?」という記事なんです。たくさん見られているからスキの数も相対的に多くなっているわけですが、投稿当時、この記事がこんなにもたくさんの目に触れられるなんて全く思ってもいませんでした。

僕は創作だけでなく教育にも興味があって、去年教育実習に行ったんですが、そのときの経験を綴った記事なんです。とりあえずネタを考える時間もないから、今日指導教員から教わったことを書いちゃえ!という勢いのまま書き殴った記事でした。

それでも、多くの人に読まれているという結果が出ている。

だからといって、僕は教育系のアカウントにしなかったし、あの記事を受けて自分のスタイルを変えることはありませんでした。ただ、結果を受けて、どうして伸びたのか、考えることはありました。

きっとタイトルに惹かれたんだろうな。

疑問文にしているから、読者はその疑問を解消したくなって読もうと思ってくれたんだろうな。そういえば、ブログのタイトルを疑問文にすると効果的という話を何かのサイトで見たな。あの主張は正しかったのか。

それだけじゃなくて、きっと誰しもに心当たりのある経験だから多くの人に読まれたんだろうな。教師は授業中に何故机の間を歩くのか、言われてみれば不思議な動作だったことに気付かされたんだろな。

……こんな感じで、振り返ったんです。

あの記事を受けて教育系にしようとか変化を起こすことはしなかったけれど、原因や要素を分析して、以降に綴る記事を書く際に転用することはできます。これからも意識してタイトルを疑問文にしてみようとか、より心当たりのある経験から自分の主張に繋げていこうとか。

話を元に戻しますが、自分のつくるものにおいて想定外のことが起きたときに、じゃあ、他人に迎合しようとか、いやそれでも我が道をいこうとか、その二元論で判断するのではなくて、自分のこだわりを守りつつも、他人の意見を取り入れていくことが必要なんじゃないかなと思うのです。


📚制作過程から他人の視点を

僕は去年、『Message』という小説を出版しました。成人の日を舞台にしたヒューマンミステリーです。青年が最期に遺した「110」というダイイングメッセージの謎を解いていきます。

『Message』は、僕ひとりでつくったわけではないんです。共同創作という形で制作しました。執筆は基本的に僕が行うんですが、言葉遣いや文章表現、物語の展開や演出まで、プロジェクトのメンバーと共にあれこれ議論しながらつくっていったんです。

共同創作をやろうと思った理由のひとつは、制作過程から他人の視点を取り込むためです。さっきの言葉を借りるなら、「自分のこだわりを守りつつも、他人の意見を取り入れていく」ことを狙ったのです。

共同創作ですから、アイデアも物語の流れもみんな分かっています。で、主催である僕が自分の思いを語ることで、物語の雰囲気や構成も共有することができます。みんなが同じ方角を見ているなら、生産的な議論ができるのです。

ひとつずつ疑問を潰していって、納得解を出す。ちなみに、その納得解というのは、メンバー全員ではなく、作者である僕にとってのもの。作者が納得することがその判断の正解なので、たとえ満場一致ではなくともその議論に終止符を打つことは多々ありました。

そもそも満場一致なんてそうそうないことですから、リーダーが選んだ答えを正解にしていくしかないのです。


そんな風にしてつくっていった小説『Message』は、おかげさまでとてもありがたい言葉をもらえる機会が多くて、「表現が綺麗」とか「文章が読みやすい」と評価してくださいます。

「表現が綺麗」というのは、僕自信が特にこだわったことで、僕なりの表現、僕だから選べる言葉を追求していました。

「文章が読みやすい」というのは、共同創作でいろんな人の視点を取り入れたからこそ実現できたことです。制作途中から読者の意見を取り入れることで、読者ファーストの文章を綴ることができたのです。

自分のこだわりを守りつつ、他人の意見を取り入れていく。その姿勢が奏功したといえるのではないでしょうか。


📚より良いものをみんなで創る

僕は今、「BOOK TALK LIVE “Message”」というイベントの開催のために準備を進めています。

ひとつのテーマのもと、本にまつわるエピソードを物語るブックトークをライブイベントとしてやっちゃおうというわけです。そのなかで、僕の初書籍『Message』にまつわるエピソード(それこそ共同創作とか)を熱弁していくつもりです。ちょっと興味を持っているけど手を伸ばしきれない方に、自ら『Message』を紹介して、作品を届ける目的があります。

このイベントにも人が必要だと思い、何人かに声をかけ、一緒に運営していくことになりました。物理的に人員を確保しないといけなかったし、それよりも自分だけじゃない誰かの視点を取り入れるべきだったので。

この前、リハーサルをやってきたんですが、反省と気付きばかり。自分で舞台に立ってみて、実際に語ってみて、「あ、この話は違う」「もう少し手応えがほしい」「時間感覚はこんなものか」などなど議論すべき点が多く見つかりました。

もちろんメンバーの方からも意見をもらい、「やっぱりそうだよね」と確認したり、「なるほどね」と新しい発見をしたりしました。

本番まで1カ月を切りましたが、まだまだできることはあるはず。自分のこだわりを守りながら、誰かの意見を取り入れていく。その姿勢を変えずに、より良いものをみんなで創っていこうと思います。

申し込みはこちらから!

最後まで読んで下さりありがとうございました。

20230403 横山黎




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