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うつヌケまであとどれぐらい?~僕の鬱病療養日記⑨~

※このnoteは、小中高大と全てで不登校を経験。その後、教育系のNPOで活動するなどしていたが、2019年3月末頃より、鬱病を再発した僕の療養生活を記録しているものです。
 とりとめもない療養生活の日常の記録とともに、この期間を利用して読んでいる本や、見た映画など、芸術と思われるものについての紹介をしています。
 僕と同じように鬱や引きこもりで悩んでいる方、またその身近にいる方々、もしくはそこまでではなくとも、心が疲れているなという方々に読んでいただければ幸いです。


日常

2019年12月1日(日)朝9:00頃。

 たった今、いつものように日付を記入して愕然とする気持ちを抑えられずにいる。12月。12月??12月!??

 もう今年も終わってしまうではないか。2019年、僕はまだ何もしていないぞ。1月2月の間違いで、実は2019年はまだ始まったばかりなのではないだろうか。きっとそうに違いない。とそんなふうに思って、現実から目を背け続けても、この世界は残酷極まりなかった。決して時間は元に戻らず、「さあ12月なんだぜ」と、カレンダーが訴えかけてくる。その主張が少しうるさいので、卓上カレンダーを下にふせる。とりあえずもうしばらくそのまま黙っていてもらいたい。

 今日もまた朝早くに起きて、ランニングをしてきた。昨日は途中で目が覚めることもなくしっかりと熟睡することが出来たので、いつも以上に身体が元気になっているような気がする。ちょっと気分も良い。でもそうなると、僕の身体はすぐに調子に乗って何かを始めようとしてしまうので、今日も無理をしすぎないことを第一に、ただ今日という一日を少しでも楽しく過ごすことができればと思う。

 ところで、朝外に出かけて気づいたのだけれど、急激に寒くなりすぎてやしないだろうか。11月が終わり。紅葉を楽しむ季節もそろそろ終わり。冬が本気を出してきている。暑さにめっぽう弱いため、夏よりは冬のほうが好きなのだけれど、末端冷え性であるため、この季節は辛い。今もこの文章をパソコンのキーボードで打ちながら、手先だけが氷のように冷たくなっている。本当にひどいときは、家にいながら指先の感覚がなくなっていくので、ほんとどうにかしてほしい。ランニングをしたり筋トレをしたりと、運動をしているにも関わらず、血の巡りが悪いのか、何年経っても改善せず困っている。

 以前、すぐに不眠症になってしまうということを書いたことがあったけれど、調べてみるとどうもこの冷え性も睡眠の妨げになっているらしい。けどそんなことを言われてもどうしようもないじゃないか。どうやったら温まるのかこちらも教えてもらいたい。

 冬は寒いけれど、空気は澄んでいるし、外出する人が減り、街が静になるので嫌いではない。けれど冬の自分の身体は好きじゃない。外が寒いんだから頑張って温かくなってほしい。手を撫でて、大切にしてあげれば、もう少し頑張ってくれるだろうか。

 またここまで、なんのとりとめもない話を書いている。振り返ってみれば、ただただ寒い、冬、12月ということしか言っていない気がする。

 それにしても、本当にもう今年も終わってしまうんだなとそんな気持ちでいっぱいになっている。去年の今頃、まさか自分がまたもや鬱の状態に入り込んでしまうだなんて思ってもいなかった。確か去年の12月は、まだインターン先での業務も忙しく、また、大学の卒業論文に対して、そろそろ本腰をいれなきゃなと、焦る気持ちがありながら、結局いっこうに書き始めようとしていない時期だった。

 鬱になってから8ヶ月。あっという間であり、ものすごく長いようでもある。しんどいときは本当にただただ苦しみの中にいて、とてつもなく長く感じてしまうのに、ちょっと元気が出ていると、それはそれで何もせず過ごしていて、時間ばかりがこぼれ落ちていくような感覚がする。そうしているうちにいつの間にやら12月となっている。

 今年はもうすぐ終わるかもしれないけれど、鬱となってしまったこの生活の終わりは見えない。いつ終わりが来るのかがわからないということには、多少の恐怖が付きまとう。永遠なのか、それとも、もうすぐ終わるのか。そういえば高校生の頃、陸上部の長距離に所属をしていたが、そのときにも初めて山をひたすらに走る練習に参加したとき、いつゴールに辿り着くかを教えてもらえなかったため、ものすごくしんどかった記憶がある。

 マラソンと同じように、「ゴールまで後何km」という表示が鬱にもあればいいのに。

 もうすぐだよ、あの辺りまで行けば終わりだよ。そんな希望が少しでも見えてきたら、足取りもだんだんと軽くなり、最後の瞬間はあっという間に駆け抜けられると思う。

 まだうつヌケまでの標識は見えないかな?遠くにかすかに、その姿を捉えつつあるような気もする。見えずともそれはあると信じて、長い暗い道を歩く。

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読書と映画と、その他芸術と思われるものについて。

三度の飯より本が好きとプロフィールに書いているほどに、毎日している読書と、趣味である映画鑑賞の中から、好きな作品・言葉を紹介するコーナー。ときどきその他芸術と思われるものについても紹介します。

今日はいつもと少し違いある短歌集から好きな作品を紹介します。
「食器と食パンとペン わたしの好きな短歌」

 イラストレーターの安福望さんが、様々な方が書いた短歌に、鮮やかでありながらどこかほんわりとした温かさを含んだイラストをつけて紹介している本です。
 今Amazonを調べて知ったのですが、もともとはブログで紹介しているものを再編集したもののようです。
元ブログはこちらです【食器と食パンとペン

 普段短歌に触れることが無い僕ですが、この本の中から個人的に好きだと思ったものをいくつか紹介します。


いいかげん神様引退しようかな 思い通りもつまらないから
 竹林ミ來(P40)

神様の本音。人間も同じかな。もちろん思い通りもあってほしいけれど。


わたくしを温めるため沸かす湯はかつて雪なる記憶を持てり
中畑智江(P48)

目の前にあるものの、本当の姿を見つめているような気がした。
一つ一つのものには、その姿になるまでの記憶が内包されている。
それらさえにも思いをはせることができれば、きっともっと世界は豊かに見えるだろうな。


火の通りにくいものから鍋に入れ柔らかくなるまでに泣きやむ
泳二(p92)

弱さと強さ両方を感じる作品。
強がりだとしても泣きやませるんだという姿。けれど、あえて時間のかかる手順を踏む弱さと優しさ。


三歩あとを必ずついてくる孤独ときおりぎゅうと抱きしめてやる
久野はすみ(p184)

一番好きだと思った作品でした。
僕の場合は三歩あとどころか、ずーっとこれまでも並走していた気がする。
孤独は嫌だ嫌だと思っていたけれど、今までそばにいてくれたんだもんね。僕もこの孤独を抱きしめてあげようと思う。愛おしいまでに。


寝た者から順に明日を配るから各自わくわくしておくように
佐伯紺(p186)

配っているのは神様なのか。
それともサンタクロースのようなおじさんだろうか。
なんだかわからないけれど、布団に入った人のそばに、明日が順々に置いていかれるところを想像すると、とても心が安らいだ。つい笑顔になる。
眠ることが楽しくなる作品。
子どもたちにも伝えたい。

以上、個人的に好きだと思った作品5首でした。
回し者ではないですが、実際の本の中にはこれらの作品に、とても美しく温かみのあるイラストが載せられていますので、ぜひそれらとともに味わってもらいたいです。
(念のために書いておきますが、noteではアフィリエイトは不可のようですし、こちらのコーナーで紹介している本を購入したからといって、僕にお金が入ってくるわけでもありません。ただ、ただ、僕が好きだ、紹介したい!と思ったものを紹介しています。)

鬱になってから、詩や短歌に触れるようになりました。もともと小説をたくさん読むなど、言葉や文章が好きだったのですが、これらの作品に触れることで、より言葉というものが好きになってきました。

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もうすぐ10回目の更新。
何か新しいコーナーでも設けてみようかなとも思っています。

12月。年末。年の瀬。師走。
素直に受け入れるしかないか。

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