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fukushima report 2017

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#福島第一原発事故

原子力安全保安院 平岡英治・元次長  5年余の沈黙を破り 福島第一原発事故をふりかえる(下)

原子力安全保安院 平岡英治・元次長  5年余の沈黙を破り 福島第一原発事故をふりかえる(下)

 2011年3月の福島第一原発事故のとき、官界の代表として首相官邸で住民避難政策の策定にかかわった平岡英治・原子力安全・保安院次長(当時)のインタビューの最終回をお届けする。今回も重要な証言が随所に出てくる。

*原子力安全・保安院の職員が福島第一原発から数キロの事務所に7〜8人いた。

*しかし住民避難を手伝うことはなかった。3月15日に福島市へ撤退した。

*住民避難は保安院の仕事ではない。避

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3・11から6年 津波に破壊されたままの姿で 小学校は眠る

3・11から6年 津波に破壊されたままの姿で 小学校は眠る

 2017年2月3日から5日にかけて、福島第一原発事故の影響で放射性物質の汚染を受けた福島県浪江町などを取材に訪れた。

 同原発から4〜10キロ北にある浪江町は、今も高濃度の汚染が残る山側(下地図のC地区)をのぞいて、太平洋沿岸の居住制限を2017年3月末で解除することを宣言している。原発事故直後、浪江町は全町民約2万5000人の避難を余儀なくされた。事故後6年にして、ようやく「ふるさと」への帰

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放射能が6年間封印した街 時計は今も2011年3月11日のまま

放射能が6年間封印した街 時計は今も2011年3月11日のまま

 前回に続いて、福島第一原発事故による放射能汚染のため、6年間ほぼ無人のまま封印されてきた福島県浪江町を訪問した報告をお届けする。前回の海岸部から反対に、国道6号線から西に曲がって、JR常磐線・浪江駅の駅前にある商店街など町の中心部を目指した(2017年2月3〜5日)。

 浪江町は福島第一原発から北に4〜8キロの距離にある。2011年3月11日、原子炉の状態が悪化し、約2万5000人いた町民は地

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桜咲く山里に村人は帰れるのか(上)3000本植樹 帰村への執念はなぜ

桜咲く山里に村人は帰れるのか(上)3000本植樹 帰村への執念はなぜ

 2017年4月23日、私はサクラの花がほころび始めた福島県飯舘村を訪れた。標高約500メートル、阿武隈山地の高原の村である。

除染され土が入れ替えられた田畑の上でサクラがほころび始めた。(2017年4月23日 福島県飯舘村で)

 実はそのちょうど6年前、2011年4月22日にも、私は同じ村にいた。30キロ以上離れた福島第一原発から飛来した放射性物質の汚染のため、全村民約6500人に避難命令が

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フクシマからの報告(中)政府が「避難指示解除」して1年経っても住民が戻らない理由

フクシマからの報告(中)政府が「避難指示解除」して1年経っても住民が戻らない理由

 前回に引き続き、政府が「避難指示」を解除した福島第一原発の周辺地域からの報告を書く。

 今春、飯舘村、富岡町、浪江町など、深刻な汚染で住民の自宅への帰還が制限されていた地区で「避難指示」が次々に解除された。「除染は終わったので、帰っていいですよ」という意味だ。では、住民は戻ってきたのか。それを知りたかった。

 その「先例」として、一足早く昨年7月に避難指示が解除された南相馬市小高(おだか)区

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フクシマからの報告(下)「カネは人を変えてしまう」原発事故が引き裂いた山村の絆

フクシマからの報告(下)「カネは人を変えてしまう」原発事故が引き裂いた山村の絆

 2017年春、福島第一原発事故の被災地を訪れた取材記録の3回目を書く。今年3月末、政府が「除染は終わった」として「避難指示」を解除し「平時」に戻すことを宣言した、福島県飯舘村、浪江町などを取材して回った。その報告である。

 今回は、飯舘村に最初に帰った村人の一人、愛澤文良さん(75)に話を聞きに行った。3・11直後、現地に知り合いのいない私に、飯舘村についての初歩知識をコーチし、案内をしてくれ

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福島第一原発復旧工事で白血病にかかった作業員に聞く「おれたち作業員は捨て駒なのか」

福島第一原発復旧工事で白血病にかかった作業員に聞く「おれたち作業員は捨て駒なのか」

 福島第一原発事故で漏れ出した放射線で、健康被害が起きるのか。起きるとしたら、どんな病気が発生するのか。発生以来6年以上「ある」「ない」両面から社会的議論が続いてきた。

 その議論に終止符を打ったのは、同原発の復旧作業にあたっていた作業員二人が白血病(骨髄細胞のがん)になり、一人が甲状腺がんになったことだ。そして、厚生労働省が、この3人の労働災害を認めた。つまり「原発復旧の作業が原因で白血病(甲

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いつの間にか国は「事故が起きたら原発周辺住民の被曝はやむなし」に政策転換 原子力規制庁に直接確認したら本当だった

いつの間にか国は「事故が起きたら原発周辺住民の被曝はやむなし」に政策転換 原子力規制庁に直接確認したら本当だった

 万一、再び福島第一原発のような事故が起きて、放射性物質が周辺に大量に漏れたとき、次回は国は原発付近に住む住民をどう避難させるつもりなのか。これは同事故を発生時から取材し続けている私のような記者にとって、もっとも重要な関心事のひとつだ。同事故では、国の失敗から、23万人が放射性物質に被曝するという最悪の結果を招いたからだ。

 洪水や土砂崩れのような「一般災害(知事や市町村長が避難指示を出せる)と

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放射能汚染で分断された街・富岡町からの報告 立入禁止区域内のほうが外より線量が低いという滑稽な現実

放射能汚染で分断された街・富岡町からの報告 立入禁止区域内のほうが外より線量が低いという滑稽な現実

 2017年10月17日から20日まで、福島第一原発事故の被災地である富岡町から浪江町にかけての地域を取材に訪ねた。福島第一原発をはさんで、富岡町は南に約8〜14キロ、浪江町は北に6〜12キロほど。どちらも事故直後に半径20キロ以内の「警戒区域」(全面立ち入り禁止区域)に入り、住民は強制的に避難させられた。

 富岡町の町民に全員避難の政府命令が出されたのは、地震・津波翌日の2011年3月12日で

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今も故郷に帰れない富岡町民に聞く:6年以上 何も変わらない 知らぬ間に自宅は壊され政治家もマスコミも被災者を黙殺 事故直後より今の方が怒りが湧いてきた

今も故郷に帰れない富岡町民に聞く:6年以上 何も変わらない 知らぬ間に自宅は壊され政治家もマスコミも被災者を黙殺 事故直後より今の方が怒りが湧いてきた


 前回の本欄で、福島第一原発事故による放射能汚染でできた「立入禁止区域」と「帰還可能区域」で街が分断された福島県・富岡町の2017年10月の姿を写真で報告した。

 では、その立入禁止境界線の向こう側に家があり、今も帰れないままの人たちは、どうしているのか。どこに住み、どんな暮らしをしているのか。何を感じ、何を考えているのか。それを今回は報告する。

 私が話を聞きに行ったのは、富岡町のJR夜ノ

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福島第一原発まで1キロ 放射能街道を行く〜原発事故が起きると街はどうなるのか

福島第一原発まで1キロ 放射能街道を行く〜原発事故が起きると街はどうなるのか

 福島第一原発を中心に「帰還困難区域」と政府が名付けたエリアが今も広がっている。

 要するに「放射性物質の汚染が一番ひどく、今も立入禁止が続く封鎖エリア」である。政府が放射能汚染地域につける名称は「できるだけ無難で、刺激の少ない表現」を選ぶ。そして行政用語なので二重にややこしい。

 緩めに決めた政府の基準ですら、そこに一年間いると、のべ被曝量が50ミリシーベルトを超えてしまう。原発作業員や医療

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