別れについての随想
みなさん、こんにちは。禧螺です。
今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。
最近よく、人との出会いと別れを考えます。
そういう季節に近付いているからかな。
こう、すごくいろいろと、複雑に考えてしまうのです。
みなさんは特に「人との別れ」を、どう感じておられますか。
🌸
どんなに親しくても、必ずみなさん経験されるのが「別れ」です。
ただ、一言に「別れ」といっても、いろいろな種類がありますよね。
例えば……
卒業式で会ってそれっきり。
話や価値観が合わなくなって自然消滅。
喧嘩別れ。
物理的に遠くに行ってしまうこと。
死別すること。
個人的に、心的な負荷がかかるのが、関係の自然消滅です。
やっぱり少しでも思ってしまう。
私の方で「もっと歩み寄れることはできたはず」と。
でも、HSPの研究を深めたり、noteやTwitterでの交流を通して、嫌でも思い知らされるのです。
どんなに好きな相手・愛している相手でも、必ず何かしらの別れ方を経験することになる。
話がかみ合わなくなった時、価値観が合わなくなった時、なんとも言えない喪失感を感じます。
そして同時に「ああ、もう戻れないのだなぁ」とも思います。
私の場合「戻さなければ」という気持ちよりも「これで受け入れなければならない」という気持ちの方が、強く働くようです。
相手のそういう気持ちが、伝わってくる気がするから、それを尊重したい。
だからこそ、私も正面から向き合う。
それが例え、今まで「好きだ」と思われていた人に「嫌い」「苦手」と思われてでも、自分が自分として世界を生きる意志には勝てません。
自然消滅を「それぞれに成長している証であり、その人から学ぶことはもうなくなったことだ。だから、感謝して手放す時がきている」と、言われることがある。
そうして優しく諭されても、寂しい気持ちは消えない。
一方で、相手はそんなこと、次の瞬間には全く考えていなくて、他の誰かと遊んでると、例えられたりする。
「別れ」をいちいち重く考える自分が嫌になる。
そういったものだと、軽く受け止められない。
どうしてなのだろう。
私は、人と付き合う方法がおかしいのではないだろうか。
だから、別れの方が多いのだろうか。
そうして、ずっとぐるぐると考えていた時がありました。
今でも、自然消滅に負荷がかかるのは変わりない。
だけど「ただ負荷だった」では終わらせない。
相手が要る話ではなく、いままでの時間が無駄だった、最悪だったと囁き、虚無に引きずり込もうとする劣等感や自己卑下から、自分を救い出すのが苦しかった。
そんな苦しみを味わいたくない。
痛いのばっかり嫌だ。
そう、今まで、実生活の自然消滅に関して「自分だけに、自分ばかりに痛みを強いてきた」。
相手は悪くない、私だけが悪い。
それを、果たして健全な別れと言えるだろうか。
自然消滅は、自分も相手も、お互いにふわっと消えゆく感じ。
消えるというよりは、元にあった「みんなで生きている」という空気の層に帰る感じ。
自分と相手の間にある「生きる」という空気の濃さが、同じにならなくなっただけで、死別ではない限り、何かしらの縁があればどこかで会うかもしれない。
そういう状態って「相手が悪い」とか「自分が悪い」とか、口で言う段階じゃない。
感覚として「あっ、そんなことすっかり忘れてた」みたいなのではないかと思ってる。
もうすぐ、社会的には、別れの季節。
その別れは、人に、世界のどんな景色を見せるのだろうか。
🌸
トップ画像は みきたにし☆イラストレーター様 からお借りしました!
ありがとうございました。
みなさんに、ここで出逢えて嬉しいです。
この記事にお時間をいただき、ありがとうございました。
それでは、今日はここまでです。
みなさんの本日が、素敵なものでありますように。
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詳しい申し込み方法、セッションの流れは、
に掲載しております。
ご自身のタイミングや縁で、必要になりましたら、ご利用いただけると幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
また、セッションのご感想も別記事にて掲載しておりますので、よろしければご覧くださいませ。
上のかわいいお花の絵文字は「なるの推し活」様からお借りしました。
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