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私の叫びは、いのちの音楽

みなさん、こんばんは。綺羅です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


昨日の記事で「フィンランドへ行ってくる」という、謎の書き置きを残して行ったのですが、オンラインでフィンランドへ行ってきました。

そこで初めて知ったフィンランド文化や、サンタクロースさんとの交流で出てきた「考えてみたいことば」に出会いました。

この出来事を自分の中で整理して、後日、記事にできたらいいなと考えています。


寒いと言いつつも、私は冬が好きです。

特に今年は、オンラインでコンサートへ出かけたり、外国へ行く機会が多くなりました。

今回は、先週体験してきた「オンライン・ケルティック・クリスマス」について書いていきます。



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私は「ケルト文化」がとても大好きで、癒しで、興味があります。

ただし、私が知る「ケルト文化」は、せいぜいメディアで大々的に取り上げられている部分だけで、実際のところは、ほとんど分かっていないだろうと思っています。

最初に「ケルト文化」の存在を知ったのは「音楽」からで、小学生の頃、EnyaのCDを母に買ってもらった時、附属の歌詞解説に、ほんの少し「ケルト文化」について書かれていたことからでした。

その時、私の中で、Enyaの 『Only Time』 は、「何度も何度も聴いていたい」と思えるような「不思議な音楽」として、私の中に位置を確立していたのです。

しかし、今のように、瞬時に情報が手に入る環境ではなかったので、周囲の大人たちに必死に聞き込みをして、やっと、自分の気になる曲の名前が『Only Time』であり、その曲を歌うアーティストが「Enya」であることが分かったという状態でした。



その後、「ケルト文化」は、私のこころのどこかに、確かに存在していくのですが、「いるだけ」で、長い間、その姿を影に潜めていました。

「いるだけ」なのですが、この「いる」ということばの中に、私は「自分の存在価値」を含ませていたのです。

小学生の時は、まだ耐えられていた「いじめもどき」も、中学生になったと同時に、その「もどき」は、次第に「いじめ」になっていきました。

学校にいけなくなった時に、一日中Enyaを聞き流して過ごしていたことがあります。

その時の私は、学校に行けなくなったことを親に咎められ、友人からも一緒に無視される日々を経験して、それでも、こんな自分でも変わらずに寄り添ってくれるのが「ケルト音楽」だったので、それを聴くことで、なんとか自分の精神を持たせていた時期がありました。


また、今年3月末で職場を退職するまでに、何度もこころが折れてしまい、全然癒えないこころの傷を支えてくれたのも、「ケルト音楽」でした。

その時は、ほんの少しですが、「ケルト音楽」のメジャー所を知っていたので、Enyaに加えて、


Celtic Woman(ケルテックウーマン)


Anúna(アヌーナ)


Altan(アルタン)


The Corrs(ザ・コアーズ)


をシャッフルリピートし、一日中ヘッドフォンで聴いていました。

(厳密に、上記のバンドさんが「ケルト音楽」に属するのかどうかはわからりませんので、詳しくは各自でお調べください。上記のバンドさんは、歌詞解説において「ケルト音楽」にも触れて説明があったので、ここではひとまず「ケルト音楽」として括っています。)


少し変な感覚と思われるかもしれないですが、いじめにあった時も、職場へ行けなかった時も「こんな役立たずの私なんか、消してくれればいいのに」と思っていた時で、そう思えば思うほど「ケルト音楽」を聴きたくて仕方なくなっていました。

私の中で「ケルト音楽」は、「癒して欲しい」「励まして欲しい」という感覚で聴く音楽ではなく、

「自分が”生きている”ことを確かめたくて聴きたい」

「”死にたい”とか”消えたい”と思った時に、自分の感覚の中で聴こえていて欲しい」

という感覚なのです。


ですが、普段の生活では、そんなことをサラッと言える勇気がなかったので、そういうふうに考えていても、長い間、こころの奥深くにしまわれていたのでした。



🍃

noteも順調に生活の習慣として馴染んで来ていましたが、ここまで来ても「自分は一体、何のために生きてるのだろう。」と考えていて、意味もなく落ち込む時期が断片的に続いていました。

今月の21日から「風の時代」が来ると言われていますが、「風のような軽やかな要素のない私が、なぜこの時代に生きているのか分からない。」というような、途方もない問いまで迫ってくることがありました。

なので「調子は良くとも、すぐ横には奈落のない永遠に落ちていく底があって、綱渡り状態で歩んでいる」という気分でした。


そんな時に、noteで知り合ったフォロワーさんの記事で

「オンライン・ケルテック・クリスマス」

のコンサートが、開催されることを知りました。

YouTube上での2日連続の配信で、無料で聴けるということもあり、参加してみました。


コンサートを聴いているだけで身体が軽くなる感覚で、綱渡り状態だったのがしっかりと地に足を着けられている実感が湧きました。

「綱渡り状態だけど、だから何?私は、渡りきるよ。」

と、内なる自分が応えてくれた気がしました。

フィドルの優雅でありつつも力強い音色と、ハープの優しくも自分の行きたい方向へと導いてくれるような優しい音色に、

もっと楽しいことに出会いたい

もっといろいろな人と出会ってみたい

私は私を「これで終わり!」なんて言いたくない

と、強く思いました。


また、いろいろなアーティストさんがご活躍されているのを知り、聴いているだけで感動でいっぱいでした。

アコーディオン、ティン・ホイッスル、コンサーティーナ(小型の蛇腹楽器)等の楽器にも、うっとりして聴いていました。

ここで書くには、まだまだわからないことが多いですが、そのわからない部分を開拓したいという気持ちにさせてくれました。


ここでは「ケルト音楽」が好きです!と、声を大にして言っていきたいです。

自分の「生きること」について、隠すことなく、叫んでいたいです。

いつか「ケルテック・クリスマス」を会場で味わうことができればいいなと思います。


年明けの1月3日と4日に「アンコール配信」があるらしく、次は出演されているアーティストさんをじっくり見ていこうと思っています。

参考までにリンクを貼っておきます↓


おすすめの「ケルト音楽」があったら、教えてくださると嬉しいです。



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トップ画像は joker様 からお借りしました!

ありがとうございました。


みなさんからのスキに、私も「スキだー!」の叫びで返させていただきますね!

この記事にお時間をいただき、ありがとうございました。


それでは、今日はここまでです。

みなさん、いい週末をお迎えくださいね。



クリエイターの活動費として、使わせていただきます。 また、日本を中心とした、伝統文化を守り後世にも残して参りたいですので、その保護活動費としても使わせていただきます。