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ソ連旅

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#毎日note

観光旅行をしていたら、ソ連がこわれた

観光旅行をしていたら、ソ連がこわれた

かつて、ソ連という世界一面積の広い国がありました。ザンネンながら30年前の1991年にこの世から消えてなくなりました。ソ連の遺産はだいたいロシアが受け継いだのですが、たとえばクリミア半島をめぐってウクライナと争いがおきたりしています。

ゴルバチョフさんがソ連共産党のトップになってから、ソ連は変わりました。東西冷戦が終わり、世界も変わりました。1989年にベルリンの壁が崩壊してから、ワクワクが止ま

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観光旅行をしていたら、ソ連がこわれた②ハバロフスク

観光旅行をしていたら、ソ連がこわれた②ハバロフスク

1991年の夏。ロシア極東のハバロフスクから私たちの「素晴らしきソ連旅行」は始まりました。新潟から飛行機でたったの2時間。そこで、社会主義国家の洗礼を受けることになるのです。

ロシアの「夜明け」ホテルファーストコンタクトは、小さな男の子。空港を出てすぐに駆け寄ってきました。「マイ・プレゼント」と言って、手のひらに乗せているのは、偉大なる指導者レーニンのバッチ。マッチ売りならぬバッチ売りの少年です

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観光旅行をしていたら、ソ連がこわれた③ハバロフスク

観光旅行をしていたら、ソ連がこわれた③ハバロフスク

旧ソ連時代、飛行機は広い国内を旅する「足」でした。国内のネットワークを一手に引き受けていたのが国営のアエロフロート。パイロットは軍出身で航空技術は超一流と評判です。しかし…ライバルのいない国営企業の悪いクセが出た模様です。

飛行機が飛びません18時発タシケント行きの便に乗るため、私たちはハバロフスクの空港にいました。時間を過ぎてもチェックインをする様子がないので、のんびりおしゃべりをしていました

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観光旅行をしていたら、ソ連がこわれた④タシケント

ウズベキスタンの首都タシケント。「石の町」という意味で、かつてシルクロード貿易の中継都市でした。ソ連時代は、連邦の中でも4番目に大きな都市で、地下鉄も建設されるほどです。夏は気温が40度にもなるというので、到着前は暑さにおびえていましたが、からっと晴れて、朝は気持ちがいいくらいでした。

タシケントのバザール古くから貿易の中継地だけあって、大きなバザールがあります。さらに、ソ連は都市に物資が集中し

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青の都は意外と青くない?【ソ連最後の夏⑤サマルカンド】

青の都は意外と青くない?【ソ連最後の夏⑤サマルカンド】

世界史の授業で知った憧れの「青の都」サマルカンド。チンギス・ハンに破壊されたものの、14世紀、ティムールによって再建されました。ティムールは軍事の天才で、中央アジア一帯を征服。サマルカンドを帝国の首都と定め、征服地から最高の技術と富を集めました。後継者によって都はさらに大きく青く成長しましたが、17世紀の終わりに1度衰退してしまいます。

意外と青くないネットでサマルカンドを検索すると、モスクの天

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ソ連最後の夏の旅⑥レニングラード

ソ連最後の夏の旅⑥レニングラード

レニングラードは革命の都。1917年の革命でロシア帝国が倒れ、ソ連が生まれました。そして1991年8月19日、私たちは、ソ連の観光旅行の途上で、まさかのクーデターに遭遇したのです。

4回目の革命?ゴルバチョフ失脚朝、バスに乗ると添乗員のキムラさんが新聞を読んでいました。プラウダ(真実)という名の真実が掲載されない新聞。私は「ゴルバチョフが逮捕でもされましたか?」と冗談を言って席につき、しばらくし

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