カクヨムのアカウントを消しました|たかがWebサイト、されどWebサイト
小説の内容自体は生きています。noteに引っ越し
しました。
たかがWebサイト、されどWebサイト
この間書いた記事
の補足的な感じです。
「とにかく人に見てもらう」をいかにブーストさせていくのかという話で、そのためには適切なサイトデザイン、UI設計をすることが必須であるという。
それは別に大層なWebサイトを作るといったことでなくても、noteやカクヨムのような既製サービス上で自分のコンテンツを展開していく場合でも同じことが言えるよな、と。
自分がそのサイトを熟知している必要がある
僕はnoteをどうやら8ヶ月続けているみたいです。
こんな言い回しをしたのは、当初はそこまで強い意志で続けようとは全然思っていなくて、でもいつのまにか継続していたので、それはつまり僕にとってここが使いやすい場所であったのだろうなって。
時間をかければかけるほどそのサービスの使い方はわかっていくし、すると読まれやすいものを書く技術も磨かれていく(え? 質低い? そんなこと言わないで……)。
ずっとそのサイクルに入り続けることができるわけですね。
僕は日頃カクヨムで他の人が書かれたものを読むことが一切なく、ポイントがどうとか書籍化がどうとかも何も知らないので、投稿する以前にサイトの仕組みや勝手を全く理解していないわけです。
そりゃ、伸びないよなと。
見ていただける方やアクセスを1箇所に集中させたい
noteならもう大体使い方を知っていることに加えて、ありがたいことに結構記事を読んでいただいたり
スキ(ハートマーク)やフォローをいただいたりしているので、「熱い炭酸」くらいの知名度はあるのではないかと。
(一時期こんな商品があったの知っている人いますか? というか意外と有名だったらなんかすんません)
で、というか結局というか、文学や音楽をはじめ芸術品というものはとにかく知名度が大事であると僕は考えていて。どんなに素晴らしい最高の作品でも、知られていないそれは大変悲しいことに誰の目にも留まりません。
反対に、絶望的につまらない作品であっても、名の知れた作家であれば売上0円ということにはならないでしょう。
例えば東野圭吾氏がシンプルに超絶駄作を書いてしまったとしても、「いや、これは何かのメッセージなんだよ……」とか「次回作への伏線に違いない……」とかきっと思われるはずです。
で、さらにその後何の続編が出なかったとしても(伏線じゃなかったから)、大御所が書いた駄作、ということでそれはそれで売れるのではないでしょうか。
色々な人がそれを気になるはずだから。
つまるところ作家買いということです。
僕の場合はnoteにアクセスを集中させることで、他のnoteクリエイターの方やnote内部の何かしらのランキングやSEO的なものへ上手く機能する確率を上げられるかなと。
ダッシュボードの数字もそれだけ増えていくし、するとそこにはある種の権威性が生まれるわけで。
Webサービス自体の知名度もカクヨムよりnoteの方が高い(はず)し、そのため記事にリンクを貼る際もこうしてnoteリンク
の方がきっと押されやすい。
そんなわけで、僕はいつか天然水になりたいんだ……
最後に
思えばカクヨムに投稿した理由は「縦書きが好きだ!」というただそれだけな気がしました。
もし、「縦書きで読みたい……!」と思っていただける熱狂的なファンの方がいましたら、いつか書籍を出すのが僕の夢の一つであるので、その時にお読みいただければと思います。
さぁて、これまでnote記事に埋め込んできたカクヨムのリンクを貼り替えていかないと……(軽い絶望)
※今後「@philosofy」というアカウントがカクヨム上に存在していてもそれは僕ではありません。お気をつけください。