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精神疾患者の生き様

精神疾患者を、何処かで異質な存在として、重度か軽度か自らも疾患を罹った自分でさえ、忌避していた。だが、精神疾患は単なる病気の現象だけではなく、シャーマンの様な異世界と現実界を繋ぐ、認知能力が秀でている様なのだ。異質な排斥の対象でだけでは済まない、秘めた見えない理性を持っている。私は、精神疾患者を美しいロマンチストとさえ思うように為った。自分の社会の規範やルールにそぐわない理性が強固な理由で、疾患を患ってしまい、自分の理の世界との格闘しざるを得ない人生、自分の理と向き合わざるを得ない運命に設定されてしまったのだ。其の理の設定から、抜け出すことは、もはや難しいのだ。理が本質である限り、外の規範や社会の眼に沿って適応しようとしても永遠に自分が報われなくなってしまうのだ。そして、自分の理からどんどん遠ざかっていき、外からの解決を求めるようになる。自分の理を、豊富に活性化させる義務を忘れてしまったのだ。自分の理を、正当化しさえすれば、彼らは自らの理と共に生きる事で、新たな自分に生まれ変わるのに、彼らは社会の判断基準で生きようと必死になってしまう。そうすると、薬漬けに成らざるを得なくなり、人生を終に棒に振ってしまう。だから、精神疾患者よ、貴方たちは見えない理の世界を社会で生かせなくて、上手く生きられない苦しみの中でもがいている。貴方の理の世界が、社会の意識回路に合致しない故に病気を発症してしまったのではないかと推測する。本々、現実世界に生きられないのなら、どうして劣等感で世に合わせる必要があろうか。貴方たちは、ダイアの原石である。生きる意味や、人生の意義は、自らの理の世界を発展育成させてしまえば、悩みが消え去り、溌剌と生き生きと空気を吸えるはずだ。貴方たちは、苦しみを自分で選び取っている、自分に非が無いと強く思い込んでいる。思い込みが、理を保つ方法だと、自分を守るのは分かるが、思い込みが、理である限り、医学の力で症状を封じ込まらせる一途を辿るだけになってしまう。だから、何が言いたいかというと、理の保存の方法を、自己と社会の調和の為に、模索せよということだ。強制入院や、拘束に負けるな。貴方たちは、病気とレッテルを貼られるのにはもったいないのだ。もう一度言う、貴方たちは、生きる雨なのだ。天と地を繋ぐ、雨なのだ。ダイアの原石が、土に埋もれた儘に、時間が過ぎゆくのは、あまりに惜しい事ではないか。ダイアの原石が、何処にあるかと分からないというかもしれない。だが、ダイアの原石は、何処にもない。見つからない。何故なら、ダイアの原石は、貴方そのものであり、如何なる権利にも定義され得ない、ありのままの貴方、貴方という理の本質、心の主体に在るのだ。

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