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日々棒組み961 取り返しのつかないことを(現実世界で)やってしまいました。
昨日、取り返しのつかないことをやらかした怖い夢の話を書きましたが。
その舌の根も乾かないうちに取り返しのつかないことを現実にやらかしてしまいました。
前にも書いたと思いますが、私はバリカンで自分の頭を丸刈りにしています。
いつもは4ミリで刈って、伸びが早い(ような気がする)襟足ともみあげ周りを「最短か」で刈って仕上げているのですが。
今日はなんだかぼーっとしていたのでしょう。「最短か」で刈り始め
日々棒組み960 オトナの怖い夢
怖い夢というのは子供の頃からそこそこの頻度で見ていましたが、子供の頃のはなんていうか稲川淳二的っていうかホラー的っていうかそういうジャンルの夢だけでした。
今でも稲川的ホラー夢を見ることはありますが、むしろ大人だからこその怖い夢も見るようになりました。
私は印刷会社の生産管理(前職のポジションです)。
お客さんから預かった原稿を社内や外注に手配して、本にするためにまずは「初校」を出すのが仕事。
日々棒組み959 62歳までの課題は『銀の龍の背に乗って』だったのだ
こないだの日曜日は、花見 →昼飲み →カラオケ
と、お楽しみ3連発でした。
が。
3発目のカラオケの時でした。
前日に放送された『新プロジェクトX』が良かったという話題になり。
いつも幹事を務めてくれる男が「ナレーションも『地上の星』もちょっと丸い感じになってたよな」と。
そんな話をしているうちにふと気づくと中島みゆきの『銀の龍の背に乗って』のイントロが。
幹事くん曰く
「この歌好きなんだよな〜
日々棒組み958 新工場で勤務開始したら
というわけで。
勤務地が変わりました。
どーゆーわけ?
親会社が大きなグループの傘下になって子会社だったうちの会社が親会社に吸収されて必然的にグループ会社になりました。
なんつーかマトリョーシカ状態。
というわけで。
グループの意向で工場が移転することになり、4月から私も新工場勤務となりました。
「なんか家賃が安いからお前ら4月からここな」
みたいな強引な移転でした。
クラッシュギャルズに憧れ
「自分は幸せなんだな」という暫定的な結論(その7・最終回)
努の葬儀(及び偲ぶ会)翌日。
もう帰るだけなのだが、せっかく帰省したので浅間大社へお参り。履き慣れない革靴で足が痛いが今日もいい天気。
拝殿でお参り、絵馬を鑑賞。湧玉池の水は相変わらず呆れるほど綺麗で見とれてしまう。
今日は新富士駅までの足が無いので自力で辿り着かなければならない。ベンチに座って検索したがどうもいい経路が見つからない。そこそこ歩くルートばかりだ。通常ならともかく、履き慣れない靴で
『愛と哀しみのボレロ』“Les Uns et les Autres”をついに劇場で観たら
以前テレビ放送されたもの(NHK-BSで2019年放送)を鑑賞して感動、ぜひ劇場で観たいと思っていたのですが、「午前十時の映画祭」で上映されることを知り、待っていたのでした(テレビ初見時の感想はこちら(別サイトへのリンクです) →「人生はままならない、が。映画『愛と哀しみのボレロ』“Les Uns et les Autres”を観たら」)。
原題の“Les Uns et les Autres”っ
なんかもらった!
ありがとう3,000のスキたち!
「自分は幸せなんだな」という暫定的な結論(その6)
努を偲ぶ会は6時半から。
会場の、つんちゃんの教え子の店は「元お蕎麦屋さんのとこにできた新しい店」と言えば市民はみんな知っているようで、89歳の私の母も知っていた。
地元を離れて久しい私は「元お蕎麦屋さんのとこ」ではわからなかったが、調べたら浅間大社のちょっと先だったので大体わかった。
と思って向かったら遅刻した。
地元民ではないから時間の目測を誤ったか、加齢による歩行速度の低下が原因か。そんなこ
「自分は幸せなんだな」という暫定的な結論(その5)
努の骨を拾いに火葬場へ。再びみっちゃんの車に乗せてもらう。
いつもの火葬場。
20年前に友人の骨を拾い、祖父母や父とも別れた火葬場。
駐車場に私たちの学年の主将だったシゲがいたので声をかける。
「健康?どこか悪い所は無いの?」
と訊くと
「どこも悪くないよ」
とのこと。何よりだと思ったら健康診断とか受けてないとのこと。
ダメじゃんかよ。
ちなみにシゲも軽トラで来ていた。
なんかいいな、地元の軽トラ
「自分は幸せなんだな」という暫定的な結論(その4)
20年前に他界した友人は肝臓がんだった。
努と同じように中学高校と同じ柔道部だった友人。
携帯電話のメールで入院の知らせが届き、見舞いに行き、しばらくすると電話で連絡が入った。
「なんか、…ダメみたいだぞ」
知らせてくれた友人の声が今でも耳に残っている。
次に来た知らせはモルヒネを投与しているというもの。
そして訃報。3月に入ってすぐの頃だった。
肝臓がんだった友人は2ヶ月余りの入院の後のことで
「自分は幸せなんだな」という暫定的な結論(その3)
11時少し過ぎに実家に着いた。
葬儀は12時半から。余裕を見て11時半に迎えにきてもらうことになっていたのでちょうどいいなと思っていたら家に入る前にみっちゃんから電話。
「今から行くよ」
移動手段が自転車だけだった頃までしか実家に住んでいなかったので車での距離感はよくわからないが、さすがに早くないか?みっちゃんちは実家から歩いて8分くらいだ。
式場まで今から自転車で行っても間に合いそうな時刻だ。ず
「自分は幸せなんだな」という暫定的な結論(その2)
土曜日の夜帰宅するとつんちゃんからLINEのビデオ通話が。
高校柔道部同期が集まって、供物などの打ち合わせを兼ね、努を偲んで飲んでいるそうだ。そうそうこんな夜はひとりでいない方がいいね。
つんちゃんが声をかけて集めたようだが、元体育教師だからか、だから体育教師を長く続けられたのか、とにかく全体に目が届く気遣いができる。私にも気を遣って連絡をくれたのだろう。
つんちゃんがみんなの顔を順番に映して見せ