いろんな意味でこりゃびっくり!小川 哲 『ゲームの王国』を読んだら
1956年から2023年までのカンボジアが舞台の小説です。
章ごとに年月が記されていますが、上巻の最後が1978年、下巻のの最初は2023年になっています。
上巻はクメール・ルージュの成立・台頭から崩壊直後くらいまで、下巻はポンと時代が飛んで近未来になっています(文庫の刊行が2019年なので執筆時には7、8年先の設定かもしれません。あるいはもっと)。
読み始めた時は「なぜカンボジア?」という疑問がありましたが、読み進めるにつれてカンボジア以外あり得ないと思えてきます。というかそんなこと気にならなくなってきます。面白くて。
逃亡や追跡のサスペンスの合間にハッとするような「物事の考え方、とらえ方」が登場人物のセリフや思考として差し込まれます。
例えば
“ 政治とは正しい考えを競うゲームではなく、正しい結果を導くゲームだ ”
“ 理想郷は無限の善を前提としている”
“ オンカーは国家の運営をうまくいかせるための方法を発明するのではなく、国家の運営がうまくいっていると解釈する方法ばかりを発明した ”
オンカーというのは党の指導層のことですね。これなんか、最近の企業不祥事にも当てはまりそうな気がします。
上巻の時代は少年少女だった登場人物も下巻では初老です。
下巻を読み始めた時に「こんなに時代が跳んじゃうんだ」と思いましたが、ふと「こいつら俺と同世代じゃん」と気づいてからは小説内で起きていること全てが自分に迫ってくるような気がしてきました。
そうなるとなんでしょう、現実世界に何かが起きようとしているような不思議な感覚になってきました。読書していて稀に感じる最高に幸せな感覚のひとつ。以前いとうせいこうの『ノーライフキング』を読んだ時にそんな不思議な感覚になったのを覚えています。
ちなみに上巻の「目に見える現実の上にもう一層、不思議な現実がかぶさっている」ような感じには、中島らもの『ガダラの豚』を思い出しました。
終始「どうやったらこんな物語を書けるんだろう?」と思いながら読んでいましたが、あとがきと解説を読んで納得しました。
書きながら、展開の分岐に来るたびに「思いついた中で一番先がなさそうな道を選んで続きを書いてみた」そうです。
そしてしばしば袋小路に突き当たり、その展開は捨てて分岐まで戻って書き直す。その繰り返しで、完成稿の3倍くらいは捨てられたそうです。
うへぇ。ですよね。文庫上下巻で800ページくらいありますからね。
なんでも効率よく、創作にも効率のいいノウハウが広く広められている昨今ですが、反対方向には物語に強い命を宿らせる何かがあるよな、とも思います。成功するとは限らないけど。
捨てられた展開が消されずに残っていれば研究に値するような気がします。そのくらい力があるかと。
あと、物語が命を持って起ち上がる瞬間っていつなんだろう?とも考えてしましました。
生成AIならこういう試行錯誤的創作もあっという間にやってしまいそうですが、それはまた別のお話。
というわけで、未読の方には強力におすすめします。
小説でも映画でもドラマでも漫画でもアニメでも「面白いけど面白がらせるフォーマット」が透けて見えてなんか白けちゃうというような人には特におすすめします。