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最期



今まで、患者さんとの”良い思い出”を書かせてもらった。
綺麗ごとだなと思った人も少なからずいるだろう。

だが決して成功体験ばかりではない。
言いたくないが、失敗もある。
医療現場において失敗は許されない。
死に直結するからだ。

これからお話しするのは私の原点。
ずっとずっとずっと後悔している患者さんとの出来事。







小さい頃から死ぬことをよく考える子だった。

死んだらどうなるの。
お空に行くと思っていた頃はまだ気が楽だった。
年を重ねるに連れてその想像はさらに膨らんだ。


心臓が止まり、灰となり、墓のなかで永遠に過ごすのか。
永遠さえもわからなくなってしまうのか。
それとも私はもともと存在していないのか。
誰かの長い夢の中を生きているように錯覚しているだけではないか。


そして胸がもやもやっとして気持ち悪くなる。



365日、常に考えているわけではない。
ふと不安に苛まれるその瞬間がくるのだ。




今も誰かが死ぬことを考えると涙が止まらなくなる。
年を重ねることが怖くなる。
私たちは一歩一歩、死に近づいているのだ。

そんなこと考えずに楽しいこと考えなよ、とか
まだ若いのだから年をとってから考えたらいいじゃない、とか言われることもあるが、最期の日はいつくるかわからない。
もしかしたら今日かもしれない。





不純な動機かもしれないが、
看護師になりたいと思った理由の1つは
死と向き合えるようになりたいと思ったからだ。

死を受容しようとしている患者さんに寄り添うことで
自分の来るべき日に備えたいという考えがあった。

本当は一番向いていない職業なのかもしれない。

大学の研究でアドバンスディレクティブについて学生に問うた。
死に怯えている人は私以外にもたくさんいて安堵した記憶がある。

だが看護師になり、
幾度となく患者さんの死の瞬間に立ち合っても
その疑問が払拭されることはなかった。








新人看護師の時、忘れられない出来事があった。



看取り方向のご高齢の男性。

ベッドで寝たきりの状態。
発語をしたり、ナースコールをする体力はなかった。
経口摂取はできない。点滴のみ。

それでも血圧などのバイタルサインは落ち着いていた。
そのため心電図モニターはついていなかった。



朝一で、先輩看護師と
その患者さんの採血をして体位変換をした。
いつも通りの体動はあった。
足がよく動きますね、なんて先輩と話していた。


その1時間後、他の患者さんの検温に回っていると
介護士が血相を変えて私のところに走ってきた。

患者さんが息をしていない、と。



私は頭が真っ白になり、その患者さんのもとへ走った。

表情をみてすぐにわかった。
亡くなっている。

天井をじっと見つめていた。
これが最期の景色だったのだ。



もちろんいつ亡くなってもおかしくはなかった。
ご家族は「前日もどこか元気がなかったから、亡くなる気がしていました。いつも最期だと思って会いに来ていたので気にしないでくださいね」と話された。






しかし私は後悔しかなかった。
最期の瞬間 この患者さんを一人にしてしまった。

何十年も生きてきて最期の瞬間を
私の観察力が不十分だったがゆえに。

私以外の看護師ならちょっとした変化に気づくことができたかもしれない。
1時間前、きっと何か兆候があったはずなのに。




きっと死ぬ瞬間、怖かっただろう。
助けて、一人にしないでって言いたかっただろう。

言えないのがわかっているのにどうしてそばにいなかったのだろう。



夜勤を終えて帰ってからの記憶がなかった。
食事も喉を通らなかった。





看取り方向の患者さんが亡くなることは決して珍しいことではなかった。
それでもわたしは自分が許せなかった。


私自身が死ぬことが怖いくせに、患者さんの最期を1人にしてしまった。
こんな看護師がこれからも淡々と生きていてもいいのだろうか。




それでも朝はきた。気持ちなんて切り替えれるものじゃなかった。
何日経っても患者さんの最期の顔が頭から離れない。

だが、
”生きていてもいいのだろうか”と思ったところで死ねるわけじゃない。
呼吸を止めても心臓は止まらない。
自分で自分の首を絞める勇気なんてない。

自分の部屋の天井を見つめて涙が溢れた。
これが患者さんの最期の景色…

生きて償うしかない。







そこから私は1つの目標を立てた。



少しでもおかしいと思ったらすぐに心電図モニターをつけた。
些細な事でも何か変化があればすぐに家族に伝えた。

徐々に亡くなる兆候を理解できるようになった。
あと何日、今夜、あと数時間後、
いいのか悪いのかわからないが、見極めれるようになった。


残された時間をわかった上で患者さんとの時間を過ごす。

死を受容することがどんなに難しいことか。
毎日笑顔で過ごしていたおじいちゃんが
癌の宣告をされてから退院するまで一度も笑わなかったり。
ここまで生きることができたから十分よと
笑顔をみせながらも一人に泣いていたおばあちゃんもいた。



皆、死が怖い。



だからこそ、
キューブラー・ロスの死の受容過程をもとに関わるようにした。

人は、死ぬと分かってすぐに受け入れられるわけではない。
さまざまな段階を経て死を受容していくのである。
もちろん皆同じ段階を踏むわけでもないし、
必ずしも受容できるとは限らない。




患者さんが亡くなるタイミングを見据えて
死を受容できるように関わっていくこと、
最期の瞬間に家族が立ち会えるように介入すること、
これが、私があの日できなかった後悔から培った看護だ。

絶対に1人で死なせない。

誰もいない天井なんて見つめさせない。
家族に囲まれて、家族の目を見て、最期を迎えてほしい。




私の”お節介”看護のせいで
家族に迷惑をかけたことは多々あるかもしれない。

家族の形もさまざまで、現状報告の電話をしても
「もう心臓が止まってから連絡して貰えばいいので」と会いに来ない家族もいた。
そんな患者さんは1人にしないように勤務中できる限りそばにいた。手を握り続けた。

あれから患者さんが1人で亡くなることはなかった。
家族に見守られながら最期を迎えることができた。
――――あの1回を除いては。



7年経っても忘れることのない出来事。

あの日、死ぬことが余計に怖くなった。
生きていくことさえ怖くなった。

だが、学んだことのほうが多かった。
自分がやるべき看護に気づくことができた。

出勤する時、玄関で必ずあの患者さんの顔を思い出し名前を唱えていた。
6年間続けた。


忘れてはならない。
私はいつまでもあの日の後悔を抱えて生きるべきだ。
それほど命は尊いのだ。








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