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Saori Ogata
2021年9月28日 15:00
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館ずうっと昔その昔、千年ばかりも前のことであります。西山に一人の樵(きこり)が住んでおりました。元は沢山の人達も山に住んで、薪を伐ったり炭を焼いたりして暮らしていましたが、何のためか一人減り二人減りして、今ではこの樵が一人残っているだけとなってしまいました。樵は妻を亡くし、三人の娘と暮らしていました。一番目の娘も二番目の娘も気ままば
2021年9月26日 18:42
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館小山字弁天堤下の地に、弁天如来像が祀られてありました。この木像は実に古いもので、所々に蛇の形が彫り付けられてあります。昔、平泉全盛時代に建立せられたとも言い伝えられ、またこの地を開発した岩淵右近の氏神であったとも言われ、土地の信仰は相当に深く、毎日参詣人は群れを成し、絶えることがなかったと言われています。堂は弁天堤の中央に建てられ、参
2021年9月26日 14:01
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館小山字油池と前大畑の境する所を、昔から俗に大堤と呼ばれ、今なお大きな堤防の残骸が判然としている所があります。灌漑水路のなかった時代に、ここに大きな溜池が作られ、松の木沢を通じ、一帯の稲作りの水源となっていたのであります。※灌漑水路・・・かんがいすいろ。作物栽培に必要な水を、水源から農地まで、人為的に取水・配分・供給する水路のこと。 水源は
2021年9月24日 14:23
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館昔々、止々井沼(とどいぬま)をめぐる村々に、不思議な病気が流行いたしました。※村々・・・新里(にいさと)、都鳥(とどり)、上巾(かみはば)病気にかかる人はほとんどが十六、七才の娘達でありました。この病気にかかると、最初ボンヤリとしていますが、数日すると外に飛び出して駈け廻るというのでありました。さらにそれが酷くなると、狂気のように
2021年9月23日 12:03
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館昔々、上野の国、赤城の山に赤城大明神なるものが住んでおりました。※上野の国・・・こうずけのくに。現在の群馬県。※赤城大明神・・・あかぎだいみょうじん。赤城神社の祭神。この赤城大明神は、十丈余り(三十余米)の大蛇に化け、附近の住民、男女の別なく襲って取り食らい、或いは住民が丹精して育てた作物を食い荒らすなど、実に目に余るほどの悪事の限り
2021年9月19日 15:43
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館昔、花淵善兵工(ぜんべえ)という漢方医がおりました。非常に腕が良いので評判になり、診察を乞いに遠くからも訪れる者もあって、先生先生と慕われておりました。漢方医というのは、自分で薬を作ることをしていたものでした。その薬の材料は、大抵山野に自生している草木から得ることが多いのでありました。即ち野生の草の葉か根、または茎か実を乾かし、そ
2021年9月16日 12:29
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館昔、大袋に太郎兵衛という人がありました。秋晴れの良い天気の日に、瑞神山(ずいしんざん)に茜草刈りに出かけました。※茜草・・・せんそう。アカネという植物。薬や染料になる。瑞神山をあちこちと取っているうちに、傾きかけたので帰り路になって、瑞神山の麓の谷に来ると、大きい古い松の木が横たわっているので、非常に驚きました。※日が傾いてきたの
2021年9月15日 16:23
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館昔々、若柳の前谷地(まえやち)という所に、年老いた夫婦が住んでおりました。孫もまだ見ぬうちに息子夫婦に先立たれましたが、これも前世の約束事と諦め、いつか来るだろう仏様のお迎えを静かに待っているという風でありました。ある年の初夏、もう村では田植えが始まりかけておりました。おじいさんおばあさんも僅かばかりではありましたが、田畑を耕作してお
2021年9月14日 15:58
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館※夜話・・・やわ。夜の余暇にする話。秋田街道といえば、水沢を南北に通ずる往還(現在の国道四号線)を、駒形神社あたりから右折して、板谷林(いたやりん?)、浅野、広岡を経由、尼坂にある追分(指導標)を左に見ながら、林福野(りんぶくの)を通って、供養塚の東端に入り、あとは一直線に出店(でだな)、土橋(どばし)、愛宕、市野々(いち
2021年9月13日 14:53
作 緒方紗織
2021年9月13日 11:30
2021年9月12日 15:18
2021年9月11日 18:15
2021年9月10日 12:04