地蔵さまの田【岩手の伝説⑬】
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館
昔々、若柳の前谷地(まえやち)という所に、年老いた夫婦が住んでおりました。
孫もまだ見ぬうちに息子夫婦に先立たれましたが、これも前世の約束事と諦め、いつか来るだろう仏様のお迎えを静かに待っているという風でありました。
ある年の初夏、もう村では田植えが始まりかけておりました。
おじいさんおばあさんも僅かばかりではありましたが、田畑を耕作しておりましたので、田植えの準備をしておりました。
その日もおじいさんは、おばあさんと相談して、明日から田植えを始めることにして、町に買い物に行っていました。
帰りはあいにく俄雨にあってしまいました。
あんなに天気が良かったのにと、おじいさんは空を眺めましたが、家を出る時の青々と澄んだ空はどこにもなく、鉛色に曇った空から、銀色の線になった雨が地に向って落ちているのでした。
おじいさんは疲れてもいるので、傍の木の根方に腰を下ろすと、買い物の包の中から笠を取り出すと、それを被りました。
そして早く雨が止んでくれればいいと、それとなく心の中で念じておりました。
しかし雨は少しも止みそうもなく、地面に音を立てて降りつのってきました。
困ったことになったとおじいさんは、それとなく辺りを見渡していると、おじいさんの雨宿りしている所からそう離れていない所に、雨に打たれている地蔵さまを見つけました。
まあ、もったいないと、おじいさんは買い物の包の中からもう一つの笠を取り出すと、地蔵さまに被せてやりました。
その笠はおばあさんのために買った笠でありました。
やがて篠突く雨も小降りとなりましたので、おじいさんは地蔵さまに笠を被せたそのまま、家に帰りました。
※篠突く・・・しのつく。篠竹を束ねたものが落ちてくるように、細いものが密に激しく飛んでくる。雨の激しく降るさまにいう。
そしておばあさんにそのことを話しました。
おばあさんはそれを聞いて大変喜んで言いました。
少々穴が開いていても、去年のがまだ充分使えるからと。
いずれ明日からは田植えが始まるからと、早々と休みました。
真夜中、家のあたりが騒々しいのでおじいさんとおばあさんが目を覚ましました。
もう夜が明けたのだろうかとびっくりして戸を開けてみると、外は真っ暗でありました。
しかしどこかあまり遠くない所で、大勢の人が田植えをしているらしい音がするのです。
こんなに早くから大変だなと思いながら、おじいさんとおばあさんはまだ暗いからとまた休みました。
夜が明けたらしく、戸の隙間から絹のような光線が部屋に流れていました。
いつもの通りおばあさんは炊事にかかりました。
おじいさんは今日植える田を見廻るべく、外に出ました。
濃い靄(もや)を含んだ外の空気は、気持よくおじいさんを包んでくれました。
しかし自分の所の田に足を踏み入れたおじいさんは、びっくりしてしまいました。
そして自分は未だ夢でも見ているのではないかと、顔などをつねってみました。
つねった顔の痛さから、夢ではないことははっきりしてきました。
今日植えようと思っていた田は、しっかり田植えが終わっていて、快く吹く朝風に、一面になびいておりました。
不思議だ不思議だと叫びながら、おじいさんは家の中に飛び込み、おばあさんを引っ張ってきて、田のほとりに連れて行きました。
おばあさんもこの不思議な光景に目をこすりながら見つめましたが、田植えの済んでいることは事実でありました。
二人は不思議だ不思議だと言いながら、植えられた自分の田を見廻っていると、一人の男の子が田の中に倒れているのを発見しました。
その服装から見て、口取りの作業にしたがっていた者と分かりました。
※口取り・・・させとり。この地方では、馬を導く口取りと、馬鍬(まぐわ)を操作する尻取りの二人で作業した。
二人はそれを手厚く葬ると、その子の倒れていた場所に、その子をかたどった地蔵さまを建てて祀りました。
子供の倒れている所の田には、子供の霊魂が乗り移ったのか、糯稲が実りました。
※糯稲・・・もちいね。もち米の稲。
おじいさんとおばあさんは可愛そうな子供の供養にもと、その後々も、その田には糯苗を植えることにしました。
その田の糯稲はどんな凶作の年でも、また肥料を施さなくとも、毎年房々と実りました。
※房々・・・ふさふさ。たくさん集まって垂れ下がっているさま。
その田には、地蔵田(じぞうでん)という名が付けられ、今なお糯苗が植え続けられているということです。